らくがき
SPさんがなんか描いてみて、って言うから・・・
描いてみた・・・はは。
http://09system-rhythm.at.webry.info/200603/article_7.html
ふ~ん、こんなのあるんやねぇ・・・
SPさんがなんか描いてみて、って言うから・・・
描いてみた・・・はは。
http://09system-rhythm.at.webry.info/200603/article_7.html
ふ~ん、こんなのあるんやねぇ・・・
今日は試合やって欲しかったなぁ。
じゃ、今日はこれ行ってみよう。 広島時代に沢山乗り換えたので、順番が違うかもしれんけど。
トヨタ セリカ カムリ 1800
1980年 当初はカリーナの兄弟車として「セリカ・カムリ」の車名であった。 車名の由来 CAMRY 冠(かんむり)からの造語。 カムリの歴史は、初代のセリカカムリから始まる。 セリカカムリはカリーナの兄弟車種であり、同じくFRのスポーツセダン。 まさに「羊の~」なんとやらである。
当初はOHV+キャブレターの1600ccと1800ccエンジンのみであったが、後にEFI(インジェクション)化された2000ccのDOHCエンジン、18R-GEUを登載した「GT」が登場する。
その他1800cc OHV+EFI、2000cc OHV+キャブレターのエンジンもラインナップしていた。 前:ストラット+後:ラテラルの4輪独立サスペンション、4輪ディスクブレーキを搭載し、まさに本気仕様。
乗ってた色は、青っぽくて黒っぽいモスグリーン(難しい色)。
実はこれのフロントグリルの真ん中に、BMW320の あの メッキグリルを無理やりくっつけていた・・・(笑)
すると、・・・・・なんということでしょう(ビフォーアフター風)、先行くクルマが皆さん、避けてくれるでは あーりませんか(爆笑)。
いやぁ、あの時は気持ちよかった。 まだまだ世の中にベンツやBMWが少ない時代ですから。 あのときの皆さん、すんません、ウソついてました。
ちょっとブログ作業が面倒になってきたぞ・・・やっぱり(笑)
気を取り直して(負けたしなぁ・・・)
この自動車修理工場では、いろいろ面白い経験をしましたねぇ。
事故車の修理を主に担当してたんだけど(手先が器用だったし)、普通の出会い頭の事故車なんて、お茶の子さいさい。
面白かったのは大事故車。 工場に運ばれて来た時はもう、クルマの原型など留めておらず、ムッチャクチャのグッチャグチャ。
よく免許の試験場で見せられる映像に出てくる事故車両ありますよね、 これ、乗ってた人、ぜったい生きてへんぞ、っていうやつ。
普通はそういう場合、間違いなくオシャカ。スクラップなんですが、1度そんなんでも直してくれ、っていうマニアな人がいた。 「ええぇぇぇえ?!、これ、直すんですかぁ?」 とわしが言ったのはいうまでもない。
変わった人がいるもんだ、と思いながらも、内心このグチャグチャを直せる喜びに胸を躍らせましたよ、ウヒヒヒって感じでした・・(笑)。
ただ、そんな25年も前の画像など残ってるはずもなく(事故車だから写真は撮ってたはず) ここでお見せできないのが残念。
しゃあないので、軽めの事故車修復作業の画像を見つけてきた。
ホンダライフの比較的大きな事故車みたいだけど、軽四は鉄板がペラペラだからね、すぐこんなんなっちゃうと思うよ。 でもまだ後ろの部分がまともに残ってるじゃないか(笑)。
わしが直した大事故車は、ニッサンシルビア(2代目)だったなぁ。 他にもホンダアコードとかいろいろ直したけど、これが一番ヒドかった。
なんせグチャグチャですから・・(笑)、説明しにくいけど、上のライフの画像で基本になっているボディーのアンダープラットフォーム、要するに床部分なんですが、ここさえもゆがんでいたんですよ。
しゃあない、こりゃあ引っ張っても元に戻らんな、ということで、車体番号がキザんであるダッシュボード裏(エンジンルームとの境)部分の鉄板だけ残して、総とっかえ・・・素人のポーカーか(笑)。
総替えと言っても、丸ごと一台が組まれて運ばれてくる、なんて事は断じてな~い。
もう細か~い部品を一つずつ、そりゃあもう一つずつクルマ1台分全て注文しなきゃならん。 ゆーときますけど、プラモデル作るのと訳が違いますから、似たようなもんやけど(笑) 部品点数なんてプラモの1000倍はあると思うな。
要するに、ニッサンシルビアの新車を1台、わし一人で作っちゃいました。
ええのんか?・・ニッサン。 ってな気分でしたね。
ただ、エンジンはアルミブロックが端っこで欠けたりしてたけど、そのまま使用しましたよ。もちろんエンジンルームのその他の部分、ラジエターからオイルクーラー、バッテリーもオシャカなので交換。
足回りは4ヵ所とも全部パァで、ショックからロッド類全部交換。 いやあ、面白かったなぁ。
で、完成させて、エンジンも積み込んで、さぁ始動・・・・・・? あれれ、エンジンがおかしい? ちょっと焦った。 で、原因究明。 解りました、電装系のトラブル。
クルマってこのころの新車はすでにインジェクション仕様のコンピューター制御。 これにいろんな物を電動で動かしたり、あちこちのランプを点灯させたりで、もう人間様の血管のように複雑な電線が束になって繋がってる。 このハーネスの何処かが断線してるようでした、あと専門家に調べてもらって、コンピュータもダメということでBOXごと交換。
はははは、ほとんど新車やん。 全ての作業が無事終了、ちゃ~~んと動きましたよ~。
で、今度は走行テスト。 自ら運転してそこいら辺をひとっ走り。 これはなんの問題もなく真っ直ぐに走ってくれました。 異音やガタも無し。 メーカー仕様より優秀やったんちゃうか。 だいたいフレーム自体を細かい部品から作り上げて真っ直ぐ走るなんて、自分でも思ってなかった・・・(笑)
で、その頃乗ってた愛車(やっと本題か・・)がこちら
ニッサンセドリック 230系 バン
自分でやったカスタムカー仕様(アストロフレーク塗装)
このクルマ、取引のあった中古車屋の裏の廃車置場で見つけて、2万円で買ったもの。
クーラーは付いてたけど、アイドリングでクーラーかけてた時、オーバーヒートしやがった。 後ろに他のクルマがついてたので、あせって近所でバケツに水をもらってエンジンルームにぶっかけ(荒っぽい(笑))、イチコロで直りました。
カスタムメイドは、リアゲートの凹凸のパテ埋めと、リアサイドの窓埋め。
それにアストロフレーク塗装 http://www.sense.panasonic.co.jp/PanaSense/auction/rocket/tosou.html
を施し(当然自分で)ました。
あと、タイヤはその頃F1でも有名なファイヤストーンの240-70サイズ(メチャでかい)にあの頃はやりのアメリカンホイル「エンケイ バハ」http://www.hobidas.com/blog/shop/mooneyes/archives/2005/12/post_8.html
いやぁ、懐かしいですなぁ。 しばし哀愁。
クルマの写真はこんなのしか残ってなかったんで解りにくいと思うけど、キンキンキラキラのレインボウカラーのラインをサイドとリアに入れてます。 もちろん自分デザイン。
で、右の写真は友人とゴルフに行った時のもの。 右にケンメリのスカイラインも写ってますねぇ、このケンメリって、わしのオヤジが乗ってましたね、そういや。
まだまだ つづく
いや~忘れてましたよ、RX7乗ってる時バイク買いました。
駅までの通勤の足代わりに、これ。
ヤマハ パッソル S50
発売初年度1977年
女性がバイクに直感的に優しさを感じないのは、またがって乗る、スカートでは乗れない、シートが高い、車両が大きい、車両が重いなどの理由からと思われる。 女性が不得意とする項目を根本から思考することによりパッソルでは次の様な項目を実現した。
1.スッテプスルー 2.前面カバー 3.強制空冷エンジン 4.オイルバスチェーン
上記フィーチャーの採用と女性に合わせた主要寸法諸元の決定によるパッソルの導入は女性ユーザーを爆発的に増加させた。 ステップスルーの車両コンセプトを成立させるために、エンジンのシリンダー を立てて強制空冷を採用した。 このエンジンレイアウトは、その後のスクーター用エンジンの基本となっている。
世の中にまだスクーターというものが無かった頃、突如市販されたバイクが、このヤマハ パッソル。
まぁ無かったというのは語弊があるが、スクーターと呼べるかっこうをしたのはお坊さんご用達のラビットスクーターか、あのローマの休日でオードリー ヘプバーンが運転したイタリアの名車ベスパ(左写真はベスパS50)くらいだったなぁ。 それほどこのフラットデッキステップというのは新鮮なデザインでした。
ま、身体の大きなわしが乗ってかっこ良かったかどうかはこの際どうでもいいでしょう・・・(笑) 色はこのオレンジではなく、ライトグリーンでした。
PS このバイクはけっこう長く乗っていて、もちろん広島にも持ち込んでいました。
その頃F1が流行り出していて、F1カープラモ(ミニ四駆ブームはまだまだ)を趣味にしていたわしは、古くなってボロがきたパッソルのカラーリング変更をしました。
そのカラーリングがなんと、オールブラックにゴールドストライプの縁取り、JPS(ジョン プレイヤー スペシャル)カラーにしたのでした・・・(笑)
これ、見せたくて写真探し回ったけど現存せず、残念。 めっちゃカッコよかったよ。
転り込んだおやじさんトコの商売は、クルマの修理工場だった・・・・ありゃ。
パッと見不真面目、けど根は真面目なわしは、そこでまた一生懸命働くのであった。
工場の屋上のプレハブに住み込んで、楽しい毎日やったなぁ。 ちゃんと車体整備士の資格までとったりして。 日曜はウィンドサーフィンにいそいそと・・・(笑)
しかし、そうこうしていていれば当然結婚という話。 まぁいいんだけど、金が無いヨ。 あ、そういやRX7があるやんって、これまた根っから楽天的なわしは、結婚資金捻出のため、RX7を売っぱらったのでした。 ほぼ1年しか乗ってないやん・・・。
ま、これで結婚式と、新婚旅行はどないかなりました(国内やけど、一応北海道に行けた)。 登別のクマ牧場は、怖かったなぁ。
でもそっから始まった新婚生活、計画性の無いわしら夫婦は、向島のボロボロの6帖1間のアパートからスタートしたのでした。 風呂はあったけど1帖サイズ、狭い。
って・・・・・めっちゃ身の上話になってるやん・・(笑)
足の無くなったわしが、ボロアパートと修理工場の通勤に買った(というか、タダでもらった)記念すべきクルマが、こちら。
ホンダ N360 (通称 エヌコロ)
けっこうポロポロいいながら、よく走ったクルマでしたねぇ。
発売初年度 1967年 2月
4輪車ではスポーツカーとトラックを作っていたホンダが、それまでの先発メーカーの軽自動車群に比べ、大幅に性能向上を図ったN360を1967年2月に発売した。この車は、横置きエンジンのFF(前輪駆動式)を採用し、全長3mの限られた寸法の中で軽自動車最大の室内スペースを確保、さらに最高速度115km/hを誇っていた。
軽四って初めて乗ったけど、なんかめったちゃっちかったなぁ。 まぁ、古い古い中古やから余計にそうなんやけど。 でも軽も意外とオモシロイと思うのでした。
ちなみにこのころはすでに550ccくらいの軽四は新車では出てたけど、昔のこういう軽四って、スバル360に代表されるように、360ccやったんですよ。
で、このころから、つまりまわりをクルマに取り囲まれる生活をするようになってから、わしのクルマ遍歴は更に加速するのであった。
つづく
むかしむかし20代前半の頃、一時オーディオに凝ってました。
よく日本橋(秋葉原みたいなトコ)に通ったりしてましたねぇ、金も無いのに。
最初に手に入れたのがオンキョーのプリメインアンプ、ダイアトーンのSP、パナソニックのターンテーブル(もちろんレコードの時代)
いわゆる普及品という代物でしたが、一応自分なりに音を追求してるつもりで(笑)、しかしだんだん欲が出てくる。
日本橋でパーツを購入、合板を大きな糸鋸の機械のある工場で加工し、自作のスピーカーなどを作ったりしましたねぇ。 バックロードホーンという構造のSPで、自分で設計し、自分で製作、仕上げ塗装までして悦に入ったりしたもんです。
そうするとカセットテープデッキという物が登場し、オープンリールデッキより便利であるため、たちまち市場に上級品が並んできます。
わしはパイオニアの上級品、前面操作のタイプをバイトの金全部つぎ込んで購入したのですが、本当はもっと欲しいものがあった。
それがナカミチというカセットデッキ専門の会社製品でしたねぇ。
ただ、専門メーカーだけあって、超超高級品で、何十万という値段、とても高嶺の花で手が出なかった。
それから幾年月、とっくにオーディオ熱など無くなったわしは、すっかりナカミチなどというメーカー名を忘れていました。
で今回、ふと思い出したので検索(便利な世の中や)、というのは今やカセットテープなるものも、とっくに古~いメディアとなってしまった世の中で、いったいナカミチさんはどうしてはるんや?と気になってしまったんですね・・(笑)。
見つけました、生きてはりました(笑)、ところがなんとこのメーカー、テ、テレビ(正確にはモニター)まで作ってはる総合オーディオメーカーに変身してはった。
カーオーディオまで作ってるなんて・・・すっかり浦島太郎。
ナカミチ ウェブサイト
http://www.nakamichi.co.jp/
今流行のホームシアター。
なんかデザインが
ドイツ的でかっこいい
んですけど・・(笑)
カーオーディオやね。
そういやポルシェの
カーオーディオが
ナカミチやったっけ?
この世に有りそうで無いもの、たくさんありそうやね(笑)
ちょっと探してみよ。
例えばソニーの冷蔵庫・・・あら、こりゃ無さそうで無いやなぁ。
ソニーの乾電池・・・・うわ、あるがな。
え~っとソニーの・・・ってなんでソニーばっかりやねん。
うむ、意外と難しいゾ。
ソニーの・・・・もうエエか。
じゃぁ、シャープ(笑)の照明器具・・・どう?
家電メーカーの各製品の棲み分け、なんかややこしいぞ。
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