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2007年2月10日 (土)

吉田義男 対 ジャイアント馬場

元阪神タイガース外野手の立川(隆史)さんが格闘技(K-1)に挑戦するらしい。
http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp3-20070208-153402.html

打つ、走る、守るから、殴る、蹴る世界へ・・・。 
野球場を後にした立川さんが今度は、四角いジャングルに挑む覚悟を決めたそうです。
すでにK-1側に志願書を提出し、関係者には決意をこう伝えています。

 「野球は好きだったけど、K-1も同じスポーツとして共通する面はあります。
肉体的にはまだ自信があります。トライしてみたい」・・・。

立川~頑張れよぉ。 君はまだ31歳、若いよ。 ぜひTVに出れるくらいにまでなって欲しい。
45_1  立川 隆史(たちかわ たかし) 外野手
1975年10月7日生 右投右打 千葉県出身 拓殖大紅陵高
中学時代には、シニア世界大会に出場して優勝。1992年高校2年時に、多田昌弘投手(現阪神打撃投手)とともに夏の甲子園に出場し準優勝。高校通算で32本塁打を放った。
1993年ドラフト2位でロッテに入団。2004年6月15日、平下晃司選手とのトレードでロッテから移籍。
2004年6月26日対中日戦(ナゴヤドーム)、移籍後初スタメンで2安打を放った。 子供の頃から阪神ファンで、憧れの選手はランディ・バース。ドラフト指名時には名前を間違えて読まれたらしい。 2005年10月5日に戦力外通告。
0808tatikawa2004トータルでの成績
530試合 1336打数 315安打 28本塁打 17盗塁 打率.236
背番号
52(1994年~1998年)
24(1999年~2004年途中)
阪神での成績
04年 試合46  打数67  安打9  本塁打1  打点6 三振17 四死球12 盗塁0 打率 .134
背番号
45(2004年途中~2005年)

ところでプロ野球界から格闘技の世界に転身した選手として有名な人と言えば・・
あのプロレスラーの超ビッグネーム、ジャイアント馬場さんがいますねぇ。
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ジャイアント馬場(馬場正平)1938−1998
プロ野球 読売巨人軍在籍(投手)
1955年~1960年 背番号59
二軍で3回、最多勝・最優秀投手獲得
一軍では3試合登板0勝1敗防御率1.29

新潟県三条市生まれ。少年時代からスポーツ万能で、三条実業高時代は野球部のエースとして活躍。その才能を読売巨人軍に認められ、在学中に入団し、新潟県第1号のプロ野球選手となった。
イースタン・リーグで最優秀選手に3年連続で選ばれるなど活躍したが、左ひじのけがで野球を断念。
1960年、プロレスラーに転向、力道山に可愛がられる。 同門にはアントニオ猪木がいる。
身長209センチ、135キロの恵まれた体格と、16文キックや32文ロケット砲、脳天唐竹割り、空手チョップなど独特な得意技を生かし、人気と実力を兼ね備えた選手として一世を風靡した。1972年に全日本プロレスを旗揚げし、PWF世界ヘビー級選手権王座38回連続防衛の日本新記録を樹立。生涯で通算5759試合マットに上がった。日本武道館で開かれた「お別れの会」には約2万7000人のファンが献花に訪れた。

巨人を解雇されて、大洋に一時入団が決まるも、風呂場での不注意から転倒、左肘を断裂、野球選手として致命傷と宣告されたのち、プロレスラーに転向。 あとは華々しい成功を収めるわけですが、その面白い後日談として年俸の事に触れています。

当時のプロ野球界での最高の花形スターと言えば言わずと知れたON、王・長嶋なわけですけど、彼らの年俸は当時3000万~4000万だったらしい。 しかし力道山永眠後社長も兼用していた馬場の収入は当時でも3億あったらしい。 王・長嶋の年俸を知った馬場は、大笑いしたそうである・・(笑)

まぁここまでの成功は望むべくもないけど立川選手にも、ぜひK-1のテストに合格し、あの世界で日本人として望まれている大型選手であるだけに、ぜひとも活躍する姿を見せてほしいものですねぇ。

でね、ちょっと馬場を調べてて面白い事を発見してしまいました。

馬場正平の巨人在籍時、もちろん1軍でも登板したわけですが、その初戦の相手は阪神だったんですね~・・へぇ~(笑)

1957年の事、当時の阪神の主力野手には、あの牛若丸吉田義男(よっさん)がいたわけです・・・。

1957年、馬場の一軍初登板は阪神戦での敗戦処理投手だった。打席には牛若丸と呼ばれた名ショートで球界一の小粒な吉田、対する馬場は球界一の大男、その身長差は40センチ以上あった。初マウンドに上がった馬場は、森のカーブのサインにうなづくと、思い切りストレートを投げ込んだ。「ストライク!」球審の手が高く上がったが、森はマスクをかなぐり捨てると、血相変えてマウンドに駆け寄って来た。「馬場!サイン見えてるか!?」もちろんサインは見えていたが、カーブのコントロールに不安がある馬場はストレートを投げたかった。結局吉田をサードゴロに打ち取った馬場は、続く打者達も打ち取り、見事に初登板を3者凡退で終えた。

へぇ~~~(笑)よっさん、馬場に凡退くらってたんやぁ・・面白いな(笑)
しかし身長差40cmて・・・もう2階から投げ下ろされてくる感じやったんやろねぇ~。
けどミート打法で知られるよっさん、初対戦でなんとか当てたいうのもすごい・・かな?。

この辺の馬場さんの生い立ちから昔のエピソード、ここに載ってます。面白いよ。
http://www.kernelsupport.co.jp/atonan/sensyu/60s/baba_syouhei.htm

これ読んでるとかなり優秀なピッチャーやったようです。 首脳陣に見る目さえあれば、ひょっとしてバッキー級の活躍をされてたかも知れませんねぇ。
そしたら阪神のこの頃の優勝も危うかったかもしれません。 早めに巨人を辞めてもらって本人も実入りが大きく向上するし、阪神も助かるしで・・(笑)

ああ、よかった。

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コメント

立川といえば2005年の東京ドーム、お盆のころでしたかね。右中間奥のスタンドにホームランを打ちました。でもそれ以外はあまり印象ないですね。個人的には平下選手が好きだったので、もったいないトレードだったと今も思っています。桜井あたりを使っていた方がよかったのかも。今江とえらい差がついちゃいましたからね。

投稿: 和田コーチ | 2007年2月11日 (日) 18時22分

to 和田コーチさん
こんばんわ、どうも~。
立川って2005年は1軍に上がってないですよ。 それ2004年でしょ。 入って来た年は代打でけっこう出てましたねぇ。 阪神ではHR1本だけ打ってるんで、たぶんそれじゃないかな。
平下ね、平下を言いだすと北川と湯舟をそのまま置いといて欲しかったかな・・(笑)それが一番HR数での貢献は多くなってたんじゃないかな~?
まぁ当時はそんなの判らんのですが・・。
けど平下も北川もロッテやオリックスでの活躍見てると、本人にはこれで良かったんやろねぇ。 湯舟は知らんけど(笑)

投稿: ありゃま | 2007年2月12日 (月) 03時31分

昔、東京新聞か、経済新聞の一面に「馬場の経歴みたいなお話」が載ってましたが、読んでて面白かったです。

連載当時は、良く読んでました。

投稿: 3鉢のサンセベリア | 2007年2月13日 (火) 17時46分

馬場さん、あわや杉下さんの200勝阻止だったんですねぇ。
シラナカッタ・・・。

投稿: ほりえゼッターランドもん | 2007年2月14日 (水) 18時07分

to サンセベリアさん
馬場正平物語は、昔はけっこう少年誌とかに読み物であったり、漫画になったりしてたんですよ。
だから巨人のピッチャー出身ていうのは大昔から知ってたし有名なんですわ。
けどこのリンク先の内容読むと、不幸やったんか幸いやったんか?(笑)よー判らへんね。

to ほりえゼッターランドもんさん
ははは、唯一誇れる球史なんやね、杉下200勝時の敗戦投手。
けどわしちょっとそのころの1軍首脳陣の見る目の無さにはあきれ返りますわ。今もそうやけど(笑)
ピッチャーにとって身体が大きいことって、めちゃめちゃ有利なんですよね。
去年のダルビッシュの活躍ぶりや、ソフバン斉藤の活躍を見てても納得です。
ダルビッシュで確か195cmやったと思う。
209cmの馬場やからね、ましてや当時の日本人の平均身長の小ささゆーたら、めちゃくちゃ小さいからねぇ。
そらもうガリバーみたいな感じやったと思いますよ。

せやから、馬場を1軍登用してくれんで助かったんですわ~(笑)

投稿: ありゃま | 2007年2月15日 (木) 02時41分

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