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2007年1月23日 (火)

WBA世界スーパーフライ級王者 名城信男

名城信男なしろ のぶお、1981年10月12日 )は奈良県奈良市出身のプロボクサーでWBA世界スーパーフライ級王者。奈良県立奈良工業高等学校出身。六島ボクシングジム所属。
Photo_2  オフィシャルサイト http://www.n746.net/index.html
小学生時代に、沖縄県本部町出身の父・建伸さんに連れられて、同じ沖縄県出身のIBFバンタム級王者新垣諭の試合を観戦し、ボクサーにあこがれる。その後は、WBCバンタム級王者の辰吉丈一郎に熱中した。 ボクシングに必要な基礎体力をつけるため、奈良市立春日中学では陸上部に入部。奈良県立奈良工業高等学校に入学して念願のボクシングを始め、ロサンゼルス五輪代表の高見公明に師事する。 近畿大に進んだが、在学中にプロデビューを決意。
戦績(デビュー~5戦目で世界ランク入り)
2003年7月11日、大阪府立体育館第二競技場にて行われた稲沢俊之vsアーニー・アレスナ戦興行の前座4回戦に登場。2000年の中日本(=東海・北陸地区)新人王・一ノ宮茂樹を相手に1回0分32秒でKO勝ちし、デビュー戦を飾る。赤コーナーがデビュー戦の名城、青コーナーがこの時点で11戦目の一ノ宮という組み合わせに、会場に訪れたファンの大半が首を捻っていたが、試合開始早々に爆発した名城の強打はその疑問を完全に払拭するものだった。一般マスコミでもボクシング専門誌上でも全く話題にならなかったこの初回KO劇だったが、関西のボクシングをつぶさに鑑賞しているファンの間では「この選手は必ず出てくる」「貴重なパンチャー系のホープ登場」「ちょっと他の奴とはモノが違う」と、早くもその将来性を認める声が上がっていた。但し、世界王座奪取後の「ボクシング・マガジン」誌の特集記事において、「この時はまだ誰にも世界への予感などなかった」という旨の記述も見られる。

Nasiro_04 2003年9月28日、大阪府立体育館第二競技場にて、木ノ下国広(畑中)に2回2分05秒でKO勝ち。東海地区を主戦場とする中堅のグッドジャバー木ノ下を、左右のフック、アッパーで痛烈に倒した。このKOシーンは、後に名城を取り上げた複数の報道番組やドキュメントで放送されている。
2003年12月21日、大阪市中央体育館サブアリーナにて、関口武志(エディ)に1回2分35秒でKO勝ち。関西の中堅クラスでは、滅多に倒れないタフネスを誇った関口のガードを、瞬く間に多彩な左のジャブ、フック、アッパーで切り崩してフィニッシュした。これでデビュー以来3連続KO勝ち、その強打と技巧の融合されたボクシング、対戦相手に所謂「噛ませ」の外国人ボクサーが含まれていない点などが評価され、徐々にボクシングファンの間でその名前が広まる。ちなみにこの日のメインイベントでは「浪速乃闘拳」亀田興毅がデビュー戦を行い、デンナロン・シスソバ(タイ)に1回0分44秒KO勝ちを収めた。
2004年3月13日、大阪市中央体育館サブアリーナにて、日本ランキング登載経験もある竹田津孝(森岡)に8回判定勝ち。長谷川穂積と1勝1敗の星を残したのを始め、熟山竜一、小島英次らとクロス・ファイトを繰り広げ、その抜群の距離感から「和製ジェス・マーカ」なる異名をとった関西屈指のテクニシャンとの対戦は、関西のボクシングファンの間で大きな注目を集めた。まさに名城の試金石となる一戦だったが、名城は2回に右フックでダウンを奪い、中盤は竹田津の巧みなボクシングに苦しめられたものの、終盤にアウトボクシングに切り替える作戦を成功させる。最終8回には再三、右フックを決めて竹田津をぐらつかせ、判定勝利を得た。竹田津は試合後「こんなに巧い相手は初めて」とコメントしている。ちなみにこの一戦のあと行われたメインイベントでは、亀田興毅がタイのプラカルソン・ツインズジムを1回1分12秒でKOした。
2004年8月7日、大阪府立体育館第一競技場にて行われた「BOXINGアジア大会」第二部興行のセミファイナルにおけるプロ5戦目で、世界ランカーの本田秀伸(グリーンツダ)を10回判定に降し、彼に替わって世界ランク入り。本田はこの試合の時点で二度の世界タイトルマッチ(ポンサクレック・クラティーンデンジム(タイ)、アレクサンドル・ムニョス(ベネズエラ))を経験しており、その技巧が世界のトップクラスに匹敵することを証明し、フライ級、バンタム級近辺において、テクニックでは国内随一と評価されていた。
しかし、キャリア、知名度で圧倒的に上回るサウスポーの本田を相手に、名城は序盤から右ストレートを中心に手数を惜しまず攻め込み、ボディブローも決めて本田を圧倒。 本田も8回に意地の猛攻を見せるが、これを凌いだ名城が殊勲の勝利を収めた。 この勝利で無名の名城は"噛ませ犬"から一転、"将来の世界王者候補"として一躍脚光を浴びるようになる。
戦績(悲劇を乗り越え、世界へ)
Nasiro_05 2005年4月3日、よく合同練習も行っていた日本スーパーフライ級王者田中聖二に挑戦し、10回TKO勝ち。王座奪取を果たすも、田中は試合後に意識不明の重体となり、急性硬膜下血腫で2週間後に亡くなる。名城自身も大きなショックを受け、1カ月間自宅に引きこもり「本気で引退を考えた」とのこと。後に、田中のジムメイトでWBCスーパーフライ級王者徳山昌守の防衛戦の会場で、田中の父親と対面。この席で「(亡くなった)息子のことは気にせず、これからも頑張って」と励まされたそうである。また、下記防衛後鳥取市にある田中の墓前に赴き、勝利を報告するなどしている。
2005年11月22日、当時WBA世界スーパーフライ級2位だったプロスパー松浦に10回判定勝ちで日本王座初防衛に成功。この勝利でWBA世界ランキング1位となり、指名挑戦権を獲得。
2006年7月22日、8戦目にして世界初挑戦。指名試合としてWBA世界スーパーフライ級Nasiro_03_1 王者マーティン・カスティーリョ(メキシコ)に挑み、10回TKO勝ち。世界王者に輝いた。プロ8戦目での世界王座奪取はWBCバンタム級の辰吉丈一郎と並ぶ国内最短記録(なお、JBC未公認であるが、IBFバンタム級の新垣諭も8戦目で世界王座奪取を果たしている)。
2006年12月2日、大阪府立体育館第一競技場でWBA世界Sフライ級王座の初防衛戦を行い、同級14位(WBCではバンタム級の世界下位ランカー)エデュアルド・ガルシア(メキシコ)を3-0の判定で下し初防衛成功。名城はやや苦戦したものの、有効打と攻勢で優勢を保ち勝利を得た。このガルシアは、前回のカスティーリョ戦前に、名城のスパーリングパートナーとして招聘され、スパーリングで名城とグローブを交えている。名城には長身で大柄なガルシアに対し、やや苦手意識があったようである。
次期防衛戦の対戦相手は、オプション(=王座交代の場合、その次々回ないし3回後のタイトルマッチに前王者が再挑戦するまで興行権を前王者側に留保する契約)を握っている前チャンピオンのマーティン・カスティーリョ(メキシコ)が有力であるが、WBA側に指名挑戦者である元チャンピオンでWBA世界ランキング1位アレクサンドル・ムニョス(ベネズエラ)との対戦を命じられる可能性もあり、2007年1月現在、どちらが挑戦者となるかは流動的である。なお、名城本人及び六島ジム枝川会長が熱望する米国での防衛戦に関しては、当地でネームバリューのあるカスティーリョとの対戦が有力、との話もある。

亀田興毅とのスパーリング
Kameda_koki デビューわずか5戦で、歴戦の技巧派ボクサー本田を下し世界ランキング入りを果たし、その実力が申し分ないと証明したものの、その知名度は近年のボクシング界に対する注目度に比例して一般には低く亀田興毅の人気の影に隠れ気味だった。
そんな中、スパーリングではあるが二人の直接対決が実現する。スパー終了後に「余裕やったな。試合用グローブやったら三途の川渡りかけてるで」と言われるが、TV番組(サンテレビで放送されていた「めざせチャンプ」)で放映されたVTR映像では、一方的に亀田が攻め立てていたという内容ではなく、逆に名城が亀田をロープ際に押し込んで猛烈に手数を浴びせている場面を映し出していた。亀田も時折カウンターを返してはいたが、とても優勢と断言出来る内容ではなかった。
のちにこのエピソードを名城は「(自分のほうが攻め立てていたのにも関わらず)言ったもの勝ちですね。ムカっときました。」と心境を語っている。これ以前も、そしてこれ以降も、名城は日本国内の強豪ボクサーたちを悉く破って世界挑戦への道程を切り拓いた。

人物
Nashiro01_1 非常に謙虚な人物で、辰吉丈一郎から「謙虚な世界チャンピオンはおらへんぞ」と注意されたことがある。一ヶ月引きこもったエピソードもこの謙虚さから来た部分が大きいことは想像に難くない。
趣味はビリヤードとボクシング。漫画喫茶にもよく行くらしい。
世界王座奪取の翌日、NTV系TV番組「ズームインsuper」に生出演した際、司会のアナウンサーから「亀田選手をどう思いますか」と訊かれ、「強い……んですかね?」と苦笑交じりで答え、スタジオ内の爆笑を誘った。慣れないテレビ生出演での咄嗟の発言なので致し方ないとも言えるが、嘘をつけない人柄が窺える。
ココリコ遠藤司会のTV番組「BLAVO!」では「世界王者になって、どんなクルマに乗りたいですか」との問いに、「...燃費のエエやつ」と応え、遠藤を苦笑させた。遠藤は高級外車かスポーツカーの名前が出てくるものと予想していた模様。しかしこの番組中の遠藤の言動には、現在のボクシング界が置かれている経済的現実を理解していない面が見られる。「世界王者って、ロールスロイスとか乗って移動するイメージですよ」と語って、名城を苦笑させている。この番組における名城と遠藤の掛け合いは、名城の企まざるユーモアと、遠藤のボクシング世界チャンピオンへの無邪気な憧憬が相まって、心暖まるものになった。

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