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2007年1月23日 (火)

まむしの杉原69歳 いまなお現役!

約50年に渡って現役を続行してきた存在感の大きさから、“日本プロゴルフ界のドン”と呼ばれている杉原輝雄プロも、この6月で70歳となる。
しかし自ら達成した世界最年長予選通過の記録更新と、レギュラーツアーでのエージシュートを目指し、いまなお飛距離アップへ向け今期もすでに肉体改造に着手して開幕に備えている。  ( ※エージシュート : 年齢以下のスコアで回る事 )

Sg1_1  「予選通過やエージシュートができればいい。目標を持って、今まで以上に加圧トレーニングを増やしている」 「ドライバーの飛距離さえ出れば、エージシュートだってできる」

最近2年間の平均飛距離は222ヤード。 延長されていくコースに対処しようと体をいじめている。 96年から導入している加圧トレーニングのメニューに、昨年末から毎日100回×3セットの腹筋と35回×2セットの側筋を欠かさない。 さらに週2、3回のスクワットや重いクラブを振り、飛距離アップのための肉体改造に取り組んでいる。

98年に前立腺がんと診断され、月に1度のホルモン注射を受けながらのプレー。 同世代でプロスポーツ界の第1線に身を置く者はいないが、今季レギュラーツアー7試合出場を計画し、ガンと戦う鉄人ゴルファー。

「魅せるよりも一生懸命にプレーする姿を(ギャラリーに)見せればいいんだ」

今の若い者には任せておけない…。口にはしないが人気低迷の男子ゴルフにカツを入れようとしているのは間違いない。 70歳アスリートがまい進する。

サム・スニードの67歳2ヶ月という世界記録を更新
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68歳10か月でのこの記録は、杉原自身がもっていた日本ツアーの最年長予選通過記録を5年ぶりに更新しただけでなく世界的な名プレーヤーであるサム・スニードの67歳2か月という世界記録をも更新する快挙となった。

大阪府出身の杉原は15歳から本格的にゴルフをはじめ、20歳でプロ入り。 1962年の「日本オープン」で初勝利を挙げると、以降60年代に海外での1勝を含む17勝、70年代に20勝、80年代に17勝と、約30年にわたって勝ち星を積み重ねてきた。 勝利数は通算61勝。 国内54勝、海外1勝(香港オープン)、シニア6勝。 レギュラーツアーでは90年の「大京オープン」、シニアツアーでは95年の「日本プロシニア」を最後に勝利はないが、それでも“現役”プレーヤーとして出場を続けている。

練習量の多さはゴルフ界でも有名であり、杉原の練習熱心な姿を見て育った関西出身のプロゴルファーも少なくない。 また先進的な道具に対しても積極的に取り入れ、特に162cmとプロスポーツ選手としては小柄な体格をカバーするために、1990年代にはドライバーのシャフトを徐々に長くして47インチドライバーにも取り組んだ、長尺ドライバーの先駆者でもある。 衰えた筋力の強化のため1996年から加圧トレーニングを開始している。

Pic01 「前立せんがんと診断されたが、手術はしない」

1998年4月、千葉県の試合会場で口にした杉原の告白は悲壮だった。 「手術をし、試合に3カ月で復帰できても、体づくりは一からやり直し。 60歳の私に休んでいる時間はない。 仮に寿命が縮まってもゴルフ人生を第一に考えたい」
それほどまでに打ち込むゴルフと最初に接したのは小学5年の時。 自宅近くの大阪府茨木CCでキャディーのアルバイトをしたのがきっかけだった。 中学を卒業するころ「カネになる」と聞いたプロゴルファーへの願望が芽生え、高校夜間部に在学中、茨木CCの洗濯係として入社した。
身長162センチと小柄。 「力も運動神経もなく、あったのは根気だけ」 それだけに朝から晩まで球を打ち続けた。 「1000球練習してすべて納得いくショットだったとしても、1001球目も良い当たりだという保証はない。 そう思うと、もう1球、もう1球と打ちたくなる」
試合の後、杉原はスポンサーやコースの支配人に礼状を出す。 「昔は試合が少なく、出たくても出られなかった。 今の若い選手に感謝の気持ちが見られない。 それでなくてもトーナメントで使ったコースは傷むのに、今後試合をやらせてもらえなくなったらどうするのか」と嘆く。
「がんの数値は安定している」と今も毎週のように試合に出る。 大多数の選手より2インチ(約5センチ)ほど長いドライバーで飛距離不足を補い、週初には関西の自宅から東京のトレーニングジムに通って肉体改造に取り組む。 「杉原はもう選手としてダメだといわれるほど見返したくなる」 この反骨心がバネになっている。

杉原輝雄 インタビュー

金 が欲しい、金を稼ぎたい、という気持ちは、人間なら誰でも素朴に浮かんでくる本能だ。美味しいものを食べたい、遊びたい、飛ばしたい、勝ちたいと誰もが思う。ふと気がついて、その欲望を数えてみたら108つもあることから108煩悩と仏教では、教えている。本当ならそういう欲望をひとつひとつ捨て去っていかなければいけない。でも人間はそんなに器用ではない。だから人間なのである。欲の悩みと格闘しながら、どううまくつき合い、利用していく努力をするのが、とっても人間らしいわけである。 杉原輝雄は、もっとも人間臭い生き方をしている。

だから、なんでこんなに頑張れるんですか? と質問すると
「お金が欲しいからです」 と言い切るのである。

「ハングリーやなしに、金が欲しいって思ってました。だって稼いでもそのまま貯まるわけやないでしょう。 僕、日々ゴハンを食べるんですよ(笑)。 たまには悪い遊びもするし、使うわけです。 外にでたらお金がいる。 給料5万円貰ったときに100万円をまず目標にするとしよう。 やっと100万円貯まったとしても、それで安泰ってことはないんですよ」

初優勝が1962年の日本プロゴルフ選手権。 その時の優勝賞金が70万円。 以来、杉原はひたすら勝つ、稼ぐことに執着し、まだ勝ちたいと本気で思っている。

「優勝と2位。 プロだから当然2位でもカネは貰える。 でも2位も100位も負けた中の一人やんか。 要するに欲やな。 執着心、負けず嫌い、それと持って生まれた運ですね。 先祖がいいのか両親がよかったのか解らんけど、僕の場合はそれに助けられてここまできたと思ってます」

まてよ、と思った。 お金の話を聞いていて知らない間にゴルフとオーバーラップしてしまうのだ。 人よりも強くなりたい。 優勝したい……でも1度の優勝で終りたくない。 つまり100万円で満足しない。 次から次へと欲が出る。とすると杉原輝雄の「お金を稼ぎたい」という単純な欲望は、この言葉をひとつの人生のモチベーションやハードルにして闘争本能をかきたてているのではないか、と思えてくる。


『勝ったんじゃなく、勝てたんや』

杉原輝雄に競り勝つことが、プロとして一人前になった証しと若手たちが目標にしていた時代が、長く続いていた。 それは杉原の持つ独特のゲーム運びや駆け引き、巧みさと向かい合い押しつぶされなかった、という満足感が湧き出るからだった。
それほど杉原とのゲームは一筋縄ではいかないものがあった。 勇猛果敢に一気に攻めたててもびくともしない。 かといって小手先だけの駆け引きや挑発にも乗ってくれない。 煮ても焼いても食えない。 表情を変えず、常に心が穏やかで冷静な雰囲気が漂っている戦いぶりが、むしろ不気味な強さを増幅させているのだった。

そんな杉原輝雄に、かき乱されず、押しつぶされもせずに競り勝ちたいと、若手たちがよってたかって胸を借りた。
ある者はつぶされ、ある者は、それを機にたくましい選手に育っていく。そうやって日本の戦後、昭和という時代を妖怪のように駆けめぐった『関西のドン』は、いまだ闘争意欲を失わず「ジャンボに勝ちたい。丸山に勝ちたい」と自分を鍛え抜いているのである。

―― 勝ちたいですか?

杉原 そりゃ勝ちたいですわ。 トップにおるんやから。 トップにでてる人は、ひとつのライバルとして考えるわけです。 相手が映画俳優だとしても女性にモテるなって思うとライバル心が湧きますわ。 誰にも負けたくない。 仮に勝てないにしても闘争心が湧く。 まして同じ(ゴルフの)世界では、そのライバル心が強くなる。

―― 勝負、競い合いが好きなんですね。

杉原 いや勝つのが好きなんです。 勝負の世界、勝たなきゃ仕方ない。 僕は、修行してプロゴルファーになったんやから、やっぱり勝たにゃいかんでしょう。 ケンカでもそうや。 勝てないケンカはやらない。 腕に自信がある場合は、他人のケンカも仲裁しにいくでしょう。 そうでないと怖いから行かん。

負けたくないけど、相手に勝つのは悪いと考える優しい人もいますわ。 昼メシ賭けてゴルフしても、自分が勝っても、まあいいやご馳走しようって思う人、そうしたほうが楽だと思う人もいる。 僕(の性格)は、やっぱり勝ちは勝ちと思うタイプです。

―― 最初から、つまりゴルフを始めたときからそういう気持ちが強かったんですか?

杉原 初めてクラブを握ったのは、小学校5、6年でキャディをやり始めたころで、友人のクラブかなんかを振ってみたわけです。 もちろん、それまでも棒キレ(山の木を切ってクラブにみたてて)田んぼなんかで遊んだりしてましたわ。 ビー玉を打ったりな。 中学を卒業するころになってプロになりたいと思ったんですわ。 稼げそうだし、まして自分自身ゴルフが面白いと思ってたわけだしね。

そういう甘い考えで(プロゴルファーを)目指した。 体は人よりも小さいし、とりたててスポーツをやってたわけじゃないのに。 だから勝つとか勝てんとかもなかったですわ。

試合があるのかも解らなかった。 とにかくプロになりたい……。 それに初任給が2000円のときにプロは3万円という噂を聞いてたんです。 それが月の実入り(月給)なのか、正規でない金(客のチップ等)も入ってのことなのか、何もわからないまま、とにかく3万円というのが魅力的だったんです(笑)。

―― 最初は、茨木(カントリー)の洗濯係として入社したんでしたよね。

杉原 (笑)そうです。 まあ子供でしたから、ゴルフは遊びの延長のような感じで、その遊びでメシが喰っていけるんならとゴルフを目指したようなもんです。 動機が不純だから(笑)苦労するんですわ。

―― でも41年間も戦っていますよね。

杉原 当然、(ゴルフを)仕事にしたら楽しいときは少ないけど、でも自分で選んだ仕事や、ほかのこともできないし(ゴルフを)やめようと思ったことはありません。 それは、やればやるだけ結果が出るんだという実感もあったしね。 自分の力で何かやれる。 実は、自分の力でと言っても、いろんな人に世話になっているんやけど、数字(スコア)にはっきり出るからやりがいはありますよ。

―― 練習の虫、という伝説がいつも杉原さんにはついて回っていますけど。

杉原 練習の虫かって?そんなこと思ってないよ。 むしろ(練習が)足らなかったと思ってます。

―― ウソでしょう?

杉原 ウソつきませんよ(笑い)。 だって朝9時前後から昼までやったって、300球とか500球がせいぜいでしょう。 500球なんて急がなきゃできない。 急いだら練習になりません。 最高でも700球ぐらいしか打ったことないですわ。 これじゃ足りん。 それにたくさんボールを打つことを若いモンに勧められるというものでもない。 無我夢中で上手くなりたいと思っていただけで、能率のいい練習なんて解らんかった。 ただ先輩やグループの中で見よう見まねでやってただけで、そんなやり方じゃあね。 まあ、時間があったら練習するというのはプロなら当然ですやろ。 1日400~500球じゃ話にならん。

たまたま勝負運がよくて、それで勝てたんだと思ってます。 能力とかそんなもん関係ない。 まあ、ラウンドを想定したていねいな練習したとしても、大半がそうではあったけど、しょせん練習のための練習でしかなかったかも知れない。 それが技術アップにつながったかどうかは解らんですよ。

―― でも、いろんな伝説がありますよ。 例えば、ウッド練習でキャディさんを落下地点に座らせておいて、杉原さんがショットする。 するとキャディさんは、ほとんど動かずに座ったままでそのボールを拾っていたという話もそうだし・・、 真夏のいちばん暑い昼下がりに、なおかつコースの最も暑い場所にわざわざ行って、そこで打球練習したとか・・。

杉原 そりゃオーバーな話ですよ。 ピッチングウエッジで50ヤードなら10球のうち5個ぐらいは歩かずに拾わせられるかも知らんが・・・実際(ウッドで)やってみないと解らんが、そう簡単にはいかないやろ(笑)。

―― これでいいか、という妥協とか、シンドイからこのぐらいで、とか思ったことはなかったんですか?

杉原 これでいい、はないでしょう。 勝ったって次にまた勝ちたいって思うから。 そう思っても勝てる保証はどこにもないんやし・・・。 そりゃ当然冬の練習は寒いし、夏は暑いしなぁ。 冬は下が凍っていて、打つと火花がでるときもある。 寒くて右手を守ってくれるものもなし、温めてくれる彼女もいないし(笑)。 けどプロになったら練習するのにキャディさんをつけてくれたんですよ。 夕方ラウンドするときには専属キャディもつけてくれた。 贅沢なことやんか(笑)。

まあ試合が始まる前の練習ラウンドというのは、練習に入らんのや。 それは確認のためであって練習じゃない。 (試合に出ない、或いはシーズン)オフに、しっかりやっておくことが練習。 ボールが思い通りに当たらなくなった、というのは練習不足や。 練習というのは、今年よりも来年のためにトレーニング。 その試合のためならトレーニングなんてしない。 2年後のためにトレーニングするんです。

―― かなり練習してたんじゃないですか。 伝説のような(笑)。

杉原 プロになった当時(いまから41年前)は、橘田(規)さんが最も(ライバルとして)有力な人やった。 それに関東勢に押されてたねぇ。

―― 強くて、我侭な先輩を負かしたいと燃えていたわけですね。

杉原 我侭なんて言ったらアカンよ。 そう。 たくさん怒られましたよ。 1回、日本オープン勝ったからって、次に勝てるとは限らない。 陳清波さんとか優秀な人がいっぱいいましたからねぇ。 ずっと見回してみると『この人ら、あと20年30年生きるのやから、僕の勝つチャンスなんてないんじゃないか』って思ったよ。 はよ死んでくれんかな(笑)ってね。 だから、倒したい相手なんて考えもしなかった。 それに勝負の駆け引きなんかもなかったよ、僕には。 そういうことをすると(勝負が)汚くなってくる。 4番といって、実は6番使ったりね。 ただ、僕はウッドで打たないと届かない。 相手は、4、5番アイアンで届く。 その違いに、相手はちょっと違和感があったと思うよ。

―― 球筋や距離をコントロールできたわけですから、かなり戸惑うでしょう。 例えば5番ウッドでどの程度の距離コントロールができるんですか?

杉原 170~185ヤードでしょう。 まあ、あとはクラブを短く持ったり、スライスかけたり。 そういうほうが3番アイアンで打つより楽やったから。 3番アイアンだと球を殺せないし、止まってくれない。 まあ、いずれ止まるんやろうが。

―― そういうテクニックが駆け引きとして相手に映っていたんですね。 十分、駆け引きしてたじゃないですか(笑)。 でも、最近のクラブは、そういった技を駆使しにくいでしょう?

杉原 自分なりの工夫が、試合ではなかなか生かし切れないで(テクニックの)差が出しにくくなったかも知れない。 打てば上がるし、止まる。 そういうことをテクニックとして身につけるのは不要なんやね。 時代の流れ。 しょうがないでしょう。 開いたり、カットしたり、いろいろしたけど・・・。

―― それにしても、杉原さんはプレッシャーに強い。 煮ても焼いても喰えない(笑い)。

杉原 こんなの(自分)煮たり、焼いたりして喰いたい人間、おらんわ(笑)。 まあ、僕自身はプレッシャーに強いと思わない。 どうしたらいいのかも解らない。 そのとき(プレッシャーを感じた場面)で思い切ったことをやれたら、それでいいと思う。 やれることだけをやればいいんです。 と思っても萎縮するんだけど・・・。

――そういう状況下で、自分自身の支えになるものはなんですか?

杉原 それまで、どれだけやってきたか。 つまり、これまでこれだけやってきたんだと考えるべきだという人もいるね。 プレッシャーがかかるのは、ひょっとしたらいい結果がでるかも知れないからですやろ。 上手くいけば優勝とか、出したことのないスコアとか。

―― その中で杉原さんは、勝ち続けてきたわけですよね。 プレッシャーをはねのけて。

杉原 プレッシャーをはねのけられる技術なんて並大抵じゃ身につかない。 だけど、はねのけるために技を磨く。 結果は望むけれど、あまり結果を意識しないほうがいいね。 意識すると、たいてい悪い結果になるもんや。 もちろん、相手がうまくいきそうだという時には、神頼みでも失敗してくれたら・・、そういう気分もありますよ。 すごく時間が短く感じるんですよ、そういう状況下では・・・。 勇気。 思いきりです。 最後は・・。

―― 年齢のことを言うと失礼ですが、今年の6月で62歳ですね。 それに前立腺ガンという病いも抱えています。 何故、そんなに頑張れるんですか?

杉原 そりゃ金が欲しいからや。 働けること自体、意義がある。 そう思っているんですわ。 ガンも薬飲んで、注射して、自覚症状ナシや。 本当にガンかいなと思うこともある。 僕の場合、幸いにも大したことないのやろ。 医者は手術もある、投薬でも病状を止められると言った。 10年15年、同じ病気で暮らしているけど、いまでも大丈夫という人の意見も聞いた。 いまはとにかくトレーニングをやめたくない。 手術したら2週間で退院できたとしても、元に戻すのに時間がかかる。 50歳なら1年ぐらいつぶしてもいいでしょうが、僕はもう(ゴルフを)やめてもいい年齢。 そんな時間は、ないんです。

だから働けることに感謝せなアカン。 せめて(賞金ランク)60位に入りたい。 もうダメやろって近親者も言うよ。 でもそういう人が多いほど、逆に有り難い。 だってひっくり返したいと思うからね。 いま思えば、若いときから鍛えておくんやった。 反省している。 やさしい方へ逃げたんや。 てっとり早いやりかたやった。

―― 逃げた?

杉原 うん。 ゴルフしていて飛ばしたいという欲のない人はいないんと違います? 距離はいくらあったって邪魔にはならへん。 だから僕は、クラブの材質、軽量に助けられた。

けどシャフトを長くすることに頼ったのは、情けない。 それはやさしい(楽な)方向に走ったのかも知れない。 だからそこそこやれたとも言えるけど。 子どものころからもっと百姓手伝っておけば変わったかも知れない。

―― 加圧式のトレーニングしてますね。

杉原 2年後、3年後のためにね。 かなりきついトレーニングですよ。 もうすぐ3年目になる。 効果はこれからです。 いまを捨てても2年後にプラス20ヤードぐらい出る可能性がある。 また、出て欲しいな、と。 いまはドライバーで245ヤードぐらいだから、260ヤードにならないと話にならない。 260行けば、あと210ヤードで470ヤードのパー4も届く。 とにかくいまは先が楽しみと思ってないとやってられん。

―― 楽しみですね。

杉原 いままで勝たせて貰ったという試合ばかり。 だからまだ足りない部分を埋めようとしたくなる。 100点なんてない。 無我夢中でやってるだけだから。 勝った試合でも、振り返ったらラッキーがたくさんある。 そのラッキーを埋めるには練習しかないわけだから。

勝ったんじゃなく、勝てたんや。

             1999年 月刊ゴルフダイジェスト・インタビュー © 三田村昌鳳

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