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2006年10月27日 (金)

新庄を語るシリーズ2

日本ハム・ヒルマン監督「2人だけの誓い」

shi-060808-1.jpg新庄について語るヒルマン監督

 優勝して送り出したい。日本ハムのトレイ・ヒルマン監督(43)が、一緒に戦う「ラストシーズン」への思いを打ち明けた。04年にメジャーから日本球界へ復帰した新庄剛志外野手(34=SHINJO)。同監督は移籍交渉に直接出馬して獲得に尽力し、数々のパフォーマンスを容認してきた。電撃的な引退表明も受け入れてシーズンが佳境に入った今、何を思うのか。入団時に交わした「チャンピオンになろう」という2人だけの誓いも今季がラストチャンスになる。

 -4月に突然、引退表明をしました

 ヒルマン監督「驚きはあったけれどショッキングではなかった。3年間、新庄と一緒にやってきて免疫はできていたので(笑い)。1本目のホームランを打った時にリアクションが違うな、と感じたので何かあるんだろうとは思いました」(※注1)

-その後に報告は

 ヒルマン監督「翌日に新庄が謝罪してくれた。あの場であえて引退発表をしたのは球団のためを思ってと、説明してくれました。『1人でも多くのファンに球場へ足を運んでもらいたいから』と。ですが、こちらの方へ事前に知らせてくれれば良かったのに。球団にも伝えてくれれば、もっとその場を和らげることができたのにね(笑い)」

 -サプライズの連続の3年間だったのでは

 ヒルマン監督「(新庄が加入した)1年目のチームのルールを振り返ってみると『まずイヤリングはいけない』『ズボンは靴下が少しでも見える位置の丈にする』『ボタンを外すにしても1つ目だけ、2つ目はダメ』。最初にそういう設定をしたが今は…。新庄はズボンが非常に長く、下にゴムを着けてはいている状態。でも今はうちのチームの選手だけではなく、ほかの球団の選手もみんな同じ状態ですからね(笑い)」

 -監督自身も変わった

 ヒルマン監督「寛容になれ、私もいい意味で新庄にアジャストできた。1度だけ『i Pod(アイ・ポッド)』(小型ミュージックプレイヤー)で音楽を聴きながら打撃ケージに入ったことがあります。全員が音楽を聴きながら打撃練習をするようになってはいけないと思い、やめるように伝えたら、翌日からしなかった。新庄は自分勝手にやるというふうに見えて、そうじゃないから認められる」

 -パフォーマンスも容認してきた

 ヒルマン監督「一番印象に残っているのは、ゴレンジャー。非常に魅惑的な物で言えば札幌ドームの天井から降りてきたことかな。その時は安全を確保しているので心配はなかったが、ただハーレー・ダビッドソンに乗っての登場は…。お客さんがたくさんいるので、調子に乗ってアクセルをふかしすぎないかなというのがちょっと心配でした。ハーレーがちゃんと止まった時はホッとしました(笑い)」(※注2)

 -監督も楽しんでいた

 ヒルマン監督「ほとんどの場合は話を通してくれていました。ですが1度だけ事前に知らされたが、直前でどうしようもないことがありました。阪神戦の時のシートノックで向こうのユニホームを着た時です。(※注3)相手を倒そうという時に相手のユニホームを着て出ていく…、あれはないだろうと思いましたよ(笑い)。私の中で好ましいパフォーマンスではなかったんですが、ファンは喜んだので良かったなと」

 -03年オフの秋季キャンプ中に直接、入団交渉して獲得した(※注4)

 ヒルマン監督「本気で獲得するなら早く会った方がいいと。球団も(日本ハム)本社もぜひ獲得して欲しいということでしたから。一緒にチャンピオンチームを作ろうという話をした。あとセンターを任せたいと。センターを、君に守って欲しいと伝えたことを覚えています」

 -一緒に戦うラストシーズンは終盤に突入した

 ヒルマン監督「チャンピオンになってグラウンドを去っていってほしい。あれだけ優れた能力を持つ選手を指揮できたというのは監督みょうりに尽きる。最後はチャンピオンになってグラウンドから送り出したい」(聞き手 日本ハム担当・高山通史)

 ※注1 4月18日オリックス戦(東京ドーム)で2回にセラフィニから左越えソロ。ホームインすると、右翼席ファンへ深々とお辞儀する“異常行動”をとった。直後の本塁打時の恒例だった打法命名は「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」で引退を表明。7回には右中間へ満塁弾を放ったが同様の行動をし、打法命名はなかった。

 ※注2 3月25日の本拠地移転後初の札幌ドーム開幕、楽天戦。大型バイクのハーレー・ダビッドソンの3輪タイプに乗って登場し守備位置に就くパフォーマンスを披露。同球場での6月6日阪神戦では、札幌ドームの地上50メートルの天井から降下して度肝を抜いた。

 ※注3 5月18日阪神戦(甲子園)で、阪神時代のタテジマのユニホームを着てシートノックに登場。虎党への感謝の思いを表した。

 ※注4 03年11月20日の日本ハムとの仮契約後の記者会見。球団側は直接の交渉は初めてとしていたが、新庄は会見で「(同月)7日に三沢球団取締役(当時)、ヒルマン監督、岩本通訳と4人で会いました」と極秘交渉があったことを暴露。ヒルマン監督は秋季鴨川キャンプに参加中だった。

 ◆ヒルマン監督と新庄

shi-060808-2.jpg新庄剛志のヘアピンをふざけて奪い取ろうとするヒルマン監督=05年11月27日

 メッツに復帰した03年、スプリングキャンプで結果を残しながら、メッツのハウ監督に戦力構想から外され、不本意な1年を過ごした。新庄はそのオフに日本へ帰国後「それは僕の力が足りなかったと思うしかない。ただ、マイナーに落とされたことも含めて、今年が一番いい勉強になったシーズンです」と話したが、その裏には確執があったともされた。その直後に日本ハムへ入団した。

 同じ外国人監督でもあるヒルマン監督はその事情、背景を独自に情報収集。「ハウ監督があまりにも報道陣が新庄のことを聞くので、新庄の話をもうやめてくれということを申し入れたら、それが彼の中で影響したという話を聞いていた」。その事前調査から新庄の個性を尊重した上での操縦法へと生かし、本拠地移転元年となった獲得年にプレーオフ進出への原動力に変えた。新庄が「ボス」と呼び、慕う関係。

2006年08月08日ニッカンスポーツ

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コメント

昨日、おちちゃんのところで書きましたが、ヒルマン監督は、懐が深いなあ、と思っています。

おちちゃんは、「浪速節的」と言っていました。

このインタビューと写真を見ると、二人が信頼で強く結ばれてるんやろなあ、と思います。

投稿: 新猛虎道 | 2006年10月28日 (土) 00時58分

to 新猛虎道さん

けど上にも書いてますが、交流戦で甲子園に来た時、練習で着た阪神ユニの件、まだちょっと許せんみたいな部分、あるみたいですよ・・(笑)

もう、ええやんねぇ・・・(笑)

投稿: ありゃま | 2006年10月28日 (土) 01時02分

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