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2006年10月27日 (金)

新庄を語るシリーズ3

楽天野村監督「恩師ノムさんからのボヤキ」

shi-060815-1.jpg師弟関係だった阪神時代から、現在は敵側として新庄を見る野村監督

 投手との「二刀流」に、伝説の「敬遠ボール打ち」。日本ハム新庄剛志外野手(34=SHINJO)の野球人生を語る上で欠かせないのが阪神時代の恩師でもある楽天野村克也監督(71)だ。対極にあるプレースタイル、おなじみの辛口評価で一時は不仲説も流れたこともあった2人だが、そのたぐいまれな才能を一番認めていたのは同監督だった。ノムさんは、近い将来の新庄との「監督対決」も熱望した。

 -新庄選手についてお話を聞かせてください

 野村監督「いい選手だよ。それで終わり」

 -野村監督は45歳まで現役をやりました。34歳での引退決断は

 野村監督「早い、早い、早すぎる。性格的に飽きっぽい。すぐ飽きちゃうんだよ。奥さんは飽きないのか、大丈夫か(笑い)」

-阪神時代の新庄との思い出は

 野村監督「(新聞で)書けないわ(笑い)。一番の思い出は敬遠のボールを打ったこと。『打っていいですか』っておれのとこ来たんだよ。いいよって言ったんだけど、紳士協定に反する。後から考えたら、あれは正しかったのか、正しくなかったのかと思う」

 -間違っていた

 野村監督「メジャーリーグだったらビーンボールだよな。紳士協定で歩かせるのに恥をかかされたわけだから。日本じゃ許されてもメジャーじゃダメだ。たとえば点差が開いていてセーフティー(バント)したり、盗塁したり。長いこと監督をやっていて敬遠を打ったヤツは後にも先にも1人だな」

 -投手との二刀流などでも話題を集めました

 野村監督「選手を生かすっていうのも監督の仕事。新庄は試行錯誤したな。守る、投げる、走るはメジャー級じゃん。あとはバッティングだけだ。もう1つは人間としての考え方が間違ってる。そういう意味では変人、奇人だよ。一言でいえば、典型的なタレント型の選手っていう感じがしたな。彼と会話した中で、一番出てくるのは『かっこいいですか、かっこ悪いですか』っていう言葉。随所に出てくる」

 -覚えているシーンは

 野村監督「たとえば筋力トレーニング。上半身をすごい、こういうふうに(胸筋モリモリのジェスチャーで)鍛えたら、下半身もバランス良く鍛えろっていう話をした。そうしたら、ももが太くなってかっこ悪いから足は鍛えないと。フフフ。ジャンプして捕るのも、かっこいいから。本来なら邪道なんだよ。あれでミスしてないからだれも文句言わないけど。かっこいい、かっこ悪いが彼の考え方のすべての基本なんでしょ」

 -ファンサービスの精神が見られます

 野村監督「阪神ではなかったよ。ところが彼は日本ハムに行って、言ったやん。『地元の人気を盛り上げる』って。それは意識的にファンサービスしてんじゃないの。みんな巨人に行きたがるのに、地味なイメージがあるパ・リーグ、そういう意味では日本ハムをよく選んだと思う。あのへんはえらい。つくり上げていくっていう。できたものの中に入るっていうんじゃなくて」

 -今後はどんな道に進むでしょう

 野村監督「たとえば野球をやめてタレントになる。野球をやってる新庄だから相手にしてくれるけど本当のタレントになっていこうと思ったら、演技力とか要求されるじゃん。ああいう世界は大変だよ。最初は物珍しくて、そりゃあマスコミ受けはするだろうけど継続は力だ。そういう社会で、もまれるのも彼の性格からしていいんじゃないか」

 -いずれ野球界に戻りたいと言うかもしれない

 野村監督「監督ならやるだろ。コーチは嫌だって言うよ。監督対決? そうかあ、どこの監督、日本ハムの監督がいいんじゃない。やらしゃあいい。客がたくさん入る? ハッハ。そういうチームが1つくらいあってもいい。まじめなチームばっかりだからな」

 -最後に

 野村監督「日本ハムにしても、パ・リーグにしても、プロ野球にしても1つの財産だから、去っていくのは損失だよな。長い間、監督をやってるけど、人気者を育てるのは無理なんだよ。ほとんどマスコミがつくってくれる。そういうマスコミ受けする選手を育てるってのは大変なこと、至難の業ですよ。新庄には、それがあった」(聞き手 楽天担当・柴田猛夫)

◆野村監督と新庄

shi-060815-2.jpg阪神ラストシーズン、横浜戦で打席に入る前に言葉を交わす新庄(右)と野村監督=00年7月1日

 野村監督が阪神監督に就任した99年から2年間、監督と選手としてタテジマのシンボルとしてともに戦った。4番に抜てきするなど、新庄の素質を高く買っていた。一番有名なのは投手との「二刀流」に挑戦させたこと。翌年から就任が決まっていた98年秋の高知・安芸キャンプを同監督が視察。当時「45年間鉄砲肩を見ているが、並外れた強肩。大変な才能、万能選手だよ」とほれ込んだ。

 当時の阪神は人気、順位ともに低迷一途の状態だった。外部招聘(しょうへい)の野村監督は3年連続最下位に終わり、新庄は01年にメジャーへ移籍。だが99年春季キャンプの総入場者数が例年の1・5倍、13万8800人に上るなど、2人が現在の阪神人気の復興への足掛かりだった。

 2人は対極にあるプレースタイルから一時、不仲説が流れたこともあった。だが新庄が今年1月の自主トレで「継投がうまくて1点を守りきるイメージ」と話すなど、野球人として野村監督に心酔。野村監督も独特の言い回しで「あいつはおれに恩義を感じてる」と話すなど信頼関係は深い。

2006年08月15日ニッカンスポーツ

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コメント

あの敬遠のボールを打って三遊間を割ってしまったシーン....。
あれは忘れられません。

とにかく、いろいろな点で、型にはまらない選手でした。
引退後も型にはまらない活躍をしてほしいものです。

投稿: 梅太郎 | 2006年10月27日 (金) 21時19分

to 梅太郎さん

すみませ~~ん、思いっきり手抜きのブログで・・(笑)

なんのコメントも無し、記事パクってきただけ・・(笑)

そうそう、こうやってブロガー自体もコメントを後付するということで・・(笑)

しかし皆さん自分の好きなシーンの載ってるトコにコメント付けるんですねぇ。 面白いです。

けどあれもちゃんと監督に「打ってもいいっすか?」て断りを入れてから行動してるというところが、ほんまスゴイです。新庄。

関西に帰って来て欲しいんですけどねぇ、彼には狭いかな?

投稿: ありゃま | 2006年10月28日 (土) 00時25分

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