« 新庄を語るシリーズ3 | トップページ | 新庄を語るシリーズ5 »

2006年10月27日 (金)

新庄を語るシリーズ4

ロッテ・バレンタイン監督「球界の救世主に」

shi-060822-1.jpg試合前に新庄(右)はバレンタイン監督と談笑し、なぜかガッツポーズ=05年4月8日

 新庄よ、第2の人生を野球界へささげなさい-。日本ハム新庄剛志外野手(34=SHINJO)が、強烈な「進路指導」を受けた。引退後の身の振り方についてアドバイスをしたのが、ロッテのボビー・バレンタイン監督(56)。01年メッツ時代の恩師で、新庄を熟知している人物の1人だ。当時の思い出を語り、引退を惜しむとともに、今後は日本球界をけん引していく立場を、セカンドキャリアとして選ぶことを熱望した。

 -今季限りで引退する新庄について

 バレンタイン監督「引退自体に驚いたことはない。ただ発表するタイミングについては、やや驚きはありました。彼は本当に素晴らしい野球人であり、野球選手であり、野球界にとっても非常に大事な存在。できるだけ長くやってもらいたいと思っていたので残念な気持ちがあります」

-新庄との初対面の印象は

 バレンタイン監督「最初に新庄選手を見た時はロッテの監督をしていたころで、その年のオールスターゲームか何かで彼の姿を見たかもしれません。ですが、あまり印象は持っていませんでした」

 -01年メッツの監督として見た新庄の第一印象は

 バレンタイン監督「(スプリングキャンプで)最初に打撃練習、外野の守りを見ていれば明らかに素晴らしい能力を持っている人だと分かりました。彼と実際に、個人的に出会ってみると、ディフェンスが素晴らしい選手である。非常に情熱を持っていて、チャンスにとても強い打者でもあるという印象を受けました」

 -同年オフにトレードされたため在籍はわずか1年だった

 バレンタイン監督「(トレードは)驚きましたが、ゼネラルマネジャーの判断で行われたものですから…。あのまま自分と一緒にプレーをしていれば、彼はもっとメジャーリーグでスター選手になれたのではないかと思っています。その時にメジャーリーグで十分にスター選手として認められていれば、もっと長い間、自分のもとでプレーをしてくれた選手だと思います」

 -ロッテ監督復帰が決まっていた03年オフに新庄獲得へ動いたが

 バレンタイン監督「その当時、ロッテの中で自分に対して情報をくれていた人が真実を伝えてくれるのではなくて。ある意味、何かゲームをしていたようなところがあって…。その時に聞かされていたのは、どのチームも新庄と契約しないと言われていた。実際に新庄選手の電話番号を入手した時には、すでに日本ハムとの契約に合意していた後だった。この組織(ロッテ)の中で完全な信頼関係を築き上げられていなかったのが、そういう結果になったのかなという思いがあります」

shi-060822-2.jpgドジャース戦でサヨナラ打を放ち、バレンタイン監督(左)に祝福される新庄=01年5月20日

 -パ・リーグではライバル球団で戦った。相手側から見た新庄の印象は

 バレンタイン監督「まったく変わらないです。彼はこの野球のグラウンドでさまざまなことができる素晴らしい選手だと思うのは変わってはいません。また野球の試合以外でもファンを喜ばせるという点では非常に能力が高いと思いますから、そういった点でも野球界には非常に重要な人物だと思いました」

 -将来はどのような道へ進んでほしい

 バレンタイン監督「とにかく野球に何かしらの形でかかわる仕事をしてもらいたい。例えば野球機構の中でコミッショナーのアシスタントといった肩書になるかも分かりません。あるいはこの野球運営についてのプロモーションやPRをする責任者といったような肩書を持ってもらう。とにかく野球界全体を、楽しく盛り上げていくために、彼を何としてもそういう立場に置くといった努力を、現在の野球界の人は考えるべきだと思います」

 -新庄を自分の下でという気持ちは

 バレンタイン監督「1つのチームの肩書を持つとかスタッフになるとかいうようなことではなくて、野球界全体のことを考え、発展させていくための仕事ができる人。そちらについてくれた方がいいと思いますよ」(聞き手 ロッテ担当・前田祐輔、日本ハム担当・高山通史)

 ◆バレンタイン監督と新庄

shi-060822-3.jpg試合後ボビー・バレンタイン監督(左)と握手する新庄=01年5月5日

 バレンタイン監督は、新庄が阪神からメジャーへ移籍した01年メッツ時代の監督。中堅手のレギュラーとして起用した。同年8月3日のダイヤモンドバックス戦で先発のランディ・ジョンソン(現ヤンキース)相手に日本人メジャーリーガー初の4番に抜てき。同監督は「私にとって3、4、5番は一緒。意味があるとすればチームを変えるため」とムードメーカー的な意味も含め、大役を任せた。

 だが同年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツへ電撃トレードが決まり、バレンタイン監督は当時「(米中枢テロで)世界貿易センタービルがなくなったことと同じくらい、新庄がいなくなったことは悲しい」と発言。新庄も「ボビー(バレンタイン監督の愛称)と一緒に優勝したかった」と残念そうに話したことから、2人のきずながうかがえる。

 ロッテ監督復帰が決まっていた03年オフにはFAとなっていた新庄の獲得に動いたが断念。その04年に日本ハムとのデッドヒートの末にプレーオフ進出を逃した際には「去年、間違った情報のせいで新庄を獲得できなかった。彼がいればちょっとは違った展開になったかも」と嘆いたことも。新庄も個々の意思を尊重、能力や適性を加味する起用法に信頼を寄せており、信頼関係は深い。

2006年08月22日ニッカンスポーツ

|

« 新庄を語るシリーズ3 | トップページ | 新庄を語るシリーズ5 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 新庄を語るシリーズ3 | トップページ | 新庄を語るシリーズ5 »