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2006年4月27日 (木)

くるま遍歴 その5.5

いや~忘れてましたよ、RX7乗ってる時バイク買いました。

駅までの通勤の足代わりに、これ。

ヤマハ パッソル S50

Passo1 Passo3

発売初年度1977年
女性がバイクに直感的に優しさを感じないのは、またがって乗る、スカートでは乗れない、シートが高い、車両が大きい、車両が重いなどの理由からと思われる。 女性が不得意とする項目を根本から思考することによりパッソルでは次の様な項目を実現した。
1.スッテプスルー 2.前面カバー 3.強制空冷エンジン 4.オイルバスチェーン
上記フィーチャーの採用と女性に合わせた主要寸法諸元の決定によるパッソルの導入は女性ユーザーを爆発的に増加させた。 ステップスルーの車両コンセプトを成立させるために、エンジンのシリンダー を立てて強制空冷を採用した。 このエンジンレイアウトは、その後のスクーター用エンジンの基本となっている。

世の中にまだスクーターというものが無かった頃、突如市販されたバイクが、このヤマハ パッソル。 

Vespa50s まぁ無かったというのは語弊があるが、スクーターと呼べるかっこうをしたのはお坊さんご用達のラビットスクーターか、あのローマの休日でオードリー ヘプバーンが運転したイタリアの名車ベスパ(左写真はベスパS50)くらいだったなぁ。 それほどこのフラットデッキステップというのは新鮮なデザインでした。

ま、身体の大きなわしが乗ってかっこ良かったかどうかはこの際どうでもいいでしょう・・・(笑) 色はこのオレンジではなく、ライトグリーンでした。

PS このバイクはけっこう長く乗っていて、もちろん広島にも持ち込んでいました。

その頃F1が流行り出していて、F1カープラモ(ミニ四駆ブームはまだまだ)を趣味にしていたわしは、古くなってボロがきたパッソルのカラーリング変更をしました。

そのカラーリングがなんと、オールブラックにゴールドストライプの縁取り、JPS(ジョン プレイヤー スペシャル)カラーにしたのでした・・・(笑)

これ、見せたくて写真探し回ったけど現存せず、残念。 めっちゃカッコよかったよ。

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2006年4月26日 (水)

くるま遍歴 その6

転り込んだおやじさんトコの商売は、クルマの修理工場だった・・・・ありゃ。

パッと見不真面目、けど根は真面目なわしは、そこでまた一生懸命働くのであった。

工場の屋上のプレハブに住み込んで、楽しい毎日やったなぁ。 ちゃんと車体整備士の資格までとったりして。 日曜はウィンドサーフィンにいそいそと・・・(笑)

しかし、そうこうしていていれば当然結婚という話。 まぁいいんだけど、金が無いヨ。 あ、そういやRX7があるやんって、これまた根っから楽天的なわしは、結婚資金捻出のため、RX7を売っぱらったのでした。 ほぼ1年しか乗ってないやん・・・。

ま、これで結婚式と、新婚旅行はどないかなりました(国内やけど、一応北海道に行けた)。 登別のクマ牧場は、怖かったなぁ。

でもそっから始まった新婚生活、計画性の無いわしら夫婦は、向島のボロボロの6帖1間のアパートからスタートしたのでした。 風呂はあったけど1帖サイズ、狭い。

って・・・・・めっちゃ身の上話になってるやん・・(笑)

足の無くなったわしが、ボロアパートと修理工場の通勤に買った(というか、タダでもらった)記念すべきクルマが、こちら。

ホンダ N360 (通称 エヌコロ)

けっこうポロポロいいながら、よく走ったクルマでしたねぇ。 

N3601発売初年度 1967年 2月
4輪車ではスポーツカーとトラックを作っていたホンダが、それまでの先発メーカーの軽自動車群に比べ、大幅に性能向上を図ったN360を1967年2月に発売した。この車は、横置きエンジンのFF(前輪駆動式)を採用し、全長3mの限られた寸法の中で軽自動車最大の室内スペースを確保、さらに最高速度115km/hを誇っていた。

軽四って初めて乗ったけど、なんかめったちゃっちかったなぁ。 まぁ、古い古い中古やから余計にそうなんやけど。 でも軽も意外とオモシロイと思うのでした。

ちなみにこのころはすでに550ccくらいの軽四は新車では出てたけど、昔のこういう軽四って、スバル360に代表されるように、360ccやったんですよ。

で、このころから、つまりまわりをクルマに取り囲まれる生活をするようになってから、わしのクルマ遍歴は更に加速するのであった。

つづく

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2006年4月24日 (月)

阪神連敗5でストップ

<阪神6-2巨人> 4月23日 東京D

神301000020=6

巨000200000=2

勝)江草 敗)グローバー

Imaoka423

1回阪神2死一、三塁、今岡が先制の左越え

3ランホーマーを放つ。

投手グローバー、捕手阿部=東京ドーム

江草の成長が大きな収穫/木戸克彦の目

 阪神江草が巨人に通用することがわかったのは、首位を追撃するチームにとっては大きい。先発は週に1回の登板機会で立ち上がりに乗るのが難しい。だがその当たり前のことを、当たり前にやれるようになった江草に成長をみた。

 3点リードした1回裏には1死一塁から二岡を沈むボールで遊ゴロ併殺に仕留めた。6回にもやはり二岡を併殺で料理するなど、落ち着いた投球だった。

 また江草は左打者の内角にきっちりコントロールできるのが最大の強み。その点、李、阿部ら強力な左打者がいる巨人打線に、江草投入が効果的といえるだろう。

江草踏ん張って2勝目

 阪神の先発、江草が踏ん張った。6連敗と、6年ぶりの巨人3連戦3連敗を阻止する好投に「何とか勝ちたかった」と喜びより安堵(あんど)感が漂った。 昨季の中継ぎから今季、先発に転向。これで2勝目だが、勝ち星以上にその安定感が際立つ。
巨人の中軸をほぼ抑え、特に昨季3打数2安打だった二岡を2併殺に。 畳み掛ける打線を封じ込み「本塁打はいけないと意識した」。 丁寧に打たせて取った投球に胸を張った。

阪神今岡4号3ラン「良かったです」

 阪神今岡が11試合ぶりの1発を放った。初回2死一、三塁の好機で初球攻撃。左翼席に先制の4号3ランを突き刺した。「初球から打っていこうと思っていた…。良かったです」。8日横浜戦で2本塁打してからの長いトンネルを脱出。打点を挙げたのも、14日広島戦以来で7試合ぶりだった。

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Tigerscup

ふぅ~、勝ったぁぁ。

 一息入れよ。

なんか、久しぶりやなぁ。

来週は貯金週間にせなあかんね。

勝利のコーヒーで乾杯。

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2006年4月22日 (土)

くるま遍歴 番外編2

彼女新車に買い換える。

前のおやじスプリンターが余りにもシブイ、シブすぎると気付いた彼女が買い換えたクルマがこれ。 お父さんの仕事の関係で、選べなかったらしい。

マツダ ファミリア 1200(グレード判らず、たぶん2代目)

Familia_1 おやじさんのコネで買ったらしいが、めっちゃ安かったとの事、確か40万代。  いいよいいよ、オレンジ色だし、かわいく見えんこともない。 走るしぃ。 でもあんまり好きなカタチでは無かったなぁ・・・わし(笑)。

これは広島の向島っていう島に泳ぎに行った時。

屋根の上に乗っかってるのは、当時まだ誰もやってなかったウインドサーファー。

これを通販で買った(だってどこにもショップなんてないし)わしは、この彼女の車を自分のもののように使い、スキー用のキャリアに積んで行ったもんだ、わはは。

Windsurfing その時の模様。 あんまり風の無い瞬間を見事に撮影。 こんな写真しかないのか・・・。

しかしこのウィンドサーフィン、誰に教わるでもなく、簡単な説明書(英語なんで絵しか解らん)を見て組み立て方を覚えただけで、無謀にも海へ出陣・・・今考えれば恐ろしい。

でもちゃんと乗れたよ、若いってスゴイね。

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くるま遍歴 番外編1

だんだんと彼女にのめり込むわし、しかし彼女は仕事と家庭の事情でお国(広島)に帰っちゃったのでした・・・。

わし・・悩む・・仕事をとるか彼女をとるか・・・。

しかし答えは最初から決まっていた・・(笑)。

半年の遠距離なんとかを続けたのち、彼女を追っかけはるばる広島へ。

これが間違いだと気づくのはずっと後の事だった・・・ああ。

と言うわけで広島彼女編

トヨタ スプリンター 1200(3代目)

Sprinter1 彼女が免許を取ってすぐのクルマなので、詳しい事はまったく判らず。  1200ccのおっさん車(中古)を買ってもらって乗っていた模様。 ボンネットに燦然と輝く初心者マーク・・(笑)

これは彼女と道後山という名も知らぬ広島の小さなスキー場へ行った時の写真。

このスキー場、リフトもあったんだけど、ロープ登っていうのがあって、文字通りロープの輪が雪の斜面をグルグル回ってる。 それの登り側を掴んでスキーで滑りながら斜面を登るという、なんとも前時代的な文明の利器があった。

というかそれがメインの登坂装置だった・・・(笑)

めっちゃ疲れるんやでぇ。これ。

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くるま遍歴 その5

大学も無事ストレートで卒業し、オイルショックの残る中、なんとか就職口にありついて働きまくったわしは、よしここらで自分にご褒美を・・・・。

でもないけど、こんなクルマを買っちゃいました。

マツダ サバンナ RX-7 GT (サンルーフ仕様) 後期タイプ

Rx7sそれまでのサバンナからのフルモデルチェンジ。
1978年3月から発売  エンジン : 12A型(573cc×2ローター) 最高出力 : 130ps / 7000rpm(グロス) 最大トルク : 16.5kg-m / 4000rpm(グロス) 空気抵抗の少ない「くさび型」をした流麗なスタイル。フロントミッドにエンジンを搭載。前・後輪にかかる重量配分50.7:49.3。空気抵抗を極力少なくするため、リトラクタブルヘッドランプ採用。
Rx7s3 <主要諸元表>(GT)  全長(mm) 4285  全幅(mm) 1675  全高(mm) 1260  ホイールベース(mm) 2420  トレッド<前・後>(mm) 1420・1400  最小回転半径(m) 4.8  変速機 マニュアル5段/AT3段 サスペンション(前) ストラット式コイルスプリング  サスペンション

Rx7s2_1(後) ワットリンク付4リンク式  主ブレーキ (前)  ベンチレーティッドディスク  主ブレーキ  (後) フィン付きドラム(L&T式)

1982年マイナーチェンジ(後期タイプ)  ロータリーエンジンRE6PI(6ポートインジェクション)の搭載をはじめとして、動力性能や操安性の向上、数々の新装備を採用し、スポーティカーとしての性能を向上させた。 RE6PIの採用により、全運転範囲で、よりパワフルな機動性を確保。 最終減速比を3.727から3.909に変更し、走行性能の向上を図った。 

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今回あたりから、昔のクルマが写った写真が残っていたので、実写真ですよ。

これは、四国高松におムコさんに行った?友人の家へロングドライブの時の写真。

高松から徳島の鳴門へサーフィンしに行きました。

スーパーカーブームがあり、リトラクタブルヘッドライトにあこがれもちょっとあったかな。

ついでにサンルーフもって調子こいてオプション追加。 サンルーフから顔を出してるのが彼女?

Surfings おまけ写真  このとき鳴門のうねりを期待したんですが、あまり波もなく、海辺で日向ぼっこに行ったような感じ。  今こうやって見ると、細いなぁ。 ちなみに左の背の高い方です。

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2006年4月20日 (木)

くるま遍歴 その4

前のがつぶれたんで、しゃあなしに次に乗り換える。 まだ大学生。 次のはコレだった。

ダイハツ コンソルテ クーペ 1000 TL

Concu1  SOHC直列4気筒 1000cc。 当初のセダン型はコンソルテベルリーナといった。
 前車コンパーノとの最大の違いは業務提携先のトヨタパブリカの姉妹車となった点である。同時に、コンパーノに設定されていた4ドアやスパイダー、ワゴンは消滅し、2ドアセダンのベルリーナだけとなった。

Consorte14ただし、エンジンはダイハツ内製のFE型を搭載し、パブリカと性格を分けた。1971年にはトヨタ製3Kエンジンを搭載した1200Sが発売され、パブリカとの血縁を濃くしている。
 1972年にビッグマイナーチェンジを行い、1973年にはパブリカスターレットをベースにしたクーペ、さらに4ドアセダンを追加し、バリエーションを広げるものの、4ドアセダンはシャルマンの登場によって消滅、約1年という短い期間の存在だった。

Consorte151975年に50年排出ガス規制をクリア、1000cc車の排出ガス規制対策車はコンソルテのみとなり、ダイハツの小型車に賭ける意気込みを示した。1976年には1000がカタログから落とされたため、この時点でパブリカ/スター レットと完全な双子車となる。翌1977年にはシャレードにその後を譲り、消滅した。ちなみに、車名はイタリア語の「伴侶・提携」から採っている。

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やっぱりあんなすぐ潰れる中古はあかん、今度は新車にしとけと言う親のアドバイスを逆手に取り、援助費を出させる事に成功♪。

しかし、いかんせん庶民なので新車の中で一番安いやつ、それも親戚の勤めるダイハツから、という厳しい条件が出された。

ま、なんにせよ上手い事いった(笑) ワクワクして新車の納車を待った覚えがある。 しかしこのクルマ、ずっと乗ってると不満だらけのクルマやったなぁ。 なんせ遅い。 走らん。 それでも中央環状のゴキブリと呼ばれ、車線変更の鬼となってた・・(笑)

ただ、エアコンやらクーラーなどというナンパな者は、都合により付いてないので、それこそナンパには向いていないクルマだった。 車種を知ってる人も皆無(笑) ダイハツと聞いて後ずさる者もいたという・・・。 前のサニーよりずっとましやん。

チューンは、175-70 のラジアルタイヤ(その頃はバイアスタイヤが主流)に履き替えくらいで、スチールホイルを黒く塗ってた。 くるまの色は、ガンメタ。

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くるま遍歴 その3

そして単車からクルマへ。

大学に通うようになってから単車通学だったので、雨の日にほとほと困っていた。

単車なら30分の通学時間が、電車だと90分以上かかる。

思い切ってクルマに乗り換えたのがこれ。

日産 ダットサン サニーGL(B10型)

お金なんて無いからね、親戚からのお下がり5万円也。

維持費の関係で、ナナハンとはおさらばでした。

Sunny 新車発表時 1966年 排気量 1000cc いわゆる初代サニーです。

初代サニーは発表に際して大衆車時代を飾るにふさわしい大々的な車名公募キャンペーンを行なった。こうして昭和41年に誕生したサニーは当初2ドアセダンのみのボディタイプで、グレードはデラックスとスタンダードのみというシンプルなものだった。
サニーは発売以来5か月で3万台を上回る販売実績を記録し、「マイカー元年」として本格的な大衆車市場の中心を占めることになる。

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しかしこれ、相当使い込んだ中古だったので、ボロかった。

半年くらいは乗ったけど、だんだんクラッチがすべってきて、最初は坂道が登れなくなり、同乗の友人に後ろから押してもらうという、なんともマンガのようなクルマだったが、とうとう発進できなくなってオシャカにしました。

そうそう、乗ってたクルマの色は、うす緑のようななんともジジくさい色やった。

ああ、懐かしいなぁ。 めくるめく青春・・(笑)

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くるま遍歴 その2

今日も負けた、しゃあないなぁ。 明日やな。

ちょっと現実逃避のブログと化すかも・・・・・。

ホンダ ドリーム CB750 four (K4)

Cb7502  排気量738cc SOHC並列4気筒 67馬力 最高速度200km/h

エンジンは見た目も考慮して二輪一般車初の並列4気筒エンジンを採用したが、 アルミの部品を多く利用し、シリンダーをやや細めにしてエンジン自体の幅と重量は抑えている。吸排気バルブについては、当時のレーサーに使用していた高回転対応のDOHCではなく、低回転からの乗りやすさと生産性を勘案し、あえてOHCを採用した。キャブレターを全てのシリンダー4個に装備したのも二輪一般車としては初めてである。

エンジンの排気量と馬力は、同業他車のエンジンを比較する形で決定された。このエンジンはもう少し性能を上げることも可能だったが、乗りやすさを優先したことから、当時の市販オートバイすべての最高値を上回る出力程度に抑えられていたが、それでも200kmのスピードを出すことも可能な性能は確保されていた。しかし当時のタイヤとチェーンはこの馬力に対応しきれず、開発中に破裂や断裂を繰り返したことから、共にCB専用の部品が造られることになったが、これは部品メーカーがホンダ側に対する製造物への責任を明確にするためだったとも言われている。

前輪ディスクブレーキ 当時既に競技用車両ではMVアグスタというメーカーが前輪ディスクブレーキ使用していた。しかし二輪一般車では前例がなかったため、CBの実車が展示されるモーターショーの直前までドラムとディスクのどちらを用いるか比較討論されていたが、最終的にディスクブレーキを装備して展示させることが決まった。これにより二輪一般車では始めてディスクブレーキを採用することになったが、ノウハウの蓄積には苦労したと伝えられている。

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これは高校3年の時~大学1回頃かな。 中学時分からこれがもう欲しくてねぇ、望月みきやの漫画 ワイルド7 とかにも登場していて、街中でもスンゴクかっこ良かった。 俗に言うナナハンとはこれの事です。

それまでの単車とは大きさや性能が段違いやった。 ただ重くてね、身体の小さい人はセンタースタンドが立てられなかった。

実際に乗ってた色は、パープルメタリックやった。 中古を格安で譲ってもらったので、色は選べなかった。 そしてやはり風防を後付してたなぁ、理由は風防が無いと目から涙が出て止まらないから。 安全のため(笑)

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2006年4月19日 (水)

くるま遍歴 その1

くるま遍歴をシリーズでUPしてみよう。

まず高校に入って1年のときに乗ったのがこれ。

ダックスホンダ ST-50 スポーツⅡ

Dax 排気量50cc スーパーカブのエンジンを搭載したレジャーバイク(写真はST50)

これがくるま遍歴の始まりになった記念すべき1台。

とり回しが楽で、気軽にどこでも行けた。

ただ原付なので、2人乗りができず困ったことも、

あと当時これにカウル(風防)と、ラジオを特別装備

していた。(ラジオはムリヤリ(笑)) 色は白やったね、新車購入。

そうそう、この頃の道交法では、原付はノーヘルOKやったので、もちろんそんなものかぶってなかったなぁ。

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2006年4月18日 (火)

阪神ファンにトラ保護訴え

阪神ファンにトラ保護訴え 東京のNPO、甲子園で配布 00019663

 絶滅が危ぐされる野生のトラの保護に取り組む特定非営利活動法人(NPO法人)「野生生物保全論研究会」(東京)が十六日、運動への協力を求める紙のメガホン一万個を阪神甲子園球場(西宮市)で配った。「泣いとる虎は、見過ごせへんで」という阪神タイガース岡田彰布監督の直筆メッセージ入り。デーゲーム観戦に訪れたファンらに「野生のトラにもエールを」と呼びかけた。

 同会によると、野生のトラは世界に約五千頭。一方、密猟を取り締まるレンジャーは各国の財政難から装備が行き渡らず、活動に限界があるという。事情を知った岡田監督が昨年末、「タイガースの監督として支援させてほしい」と申し出、今シーズンの勝利数と同数の装備品(一セット約九千円)を寄付することにした。メガホンや啓発ポスター三百枚の製作費用も負担した。

・・・・・・・・・・・・・・・神戸新聞ニュース

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へぇ、こんなん配ったんかぁ。しかも岡田はんのポケットマネーって、なかなかできるこっちゃない。岡田はんも頑張ってはりますなぁ。

阪神タイガース岡田監督 野生のトラを救う!

 「泣いとるトラは見過ごせへんで」

Tiger1

昔、トラは「強さ」の象徴だった。

でも今は「絶滅」の象徴になってしまった…

強い阪神タイガースファンの皆さん

岡田監督と一緒にトラを絶滅から救って下さい

タイガースで生まれ、育てられ、心からタイガースを愛している私は、トラという動物には特別な思いを抱いてきました。
ところが最近、こんなショッキングな話を聞いたのです。
野生のトラはいまや地球上に5,000頭、絶滅しかかっている、と。
こんな、トラのピンチを黙って見過ごすことはできません。
私、岡田彰布は、今年、阪神タイガースが1勝するたびに、トラ保護のためにレンジャーキット1セットを寄付します。
トラファンであるみなさんも、もしよろしければ、一緒にトラを応援してください。
今年もタイガースはがんばります。
野生のトラもがんばれ!

Okada

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岡田はんって、ホンマわしと考えること一緒やなぁ。
まぁ、わしにはそんなお金のかかる活動はできんけど、一緒にトラは応援できるよ。

トラ保護基金

Taiger2 ワシントン条約で禁止されているにもかかわらず、毛皮や虎骨(漢方薬として使用)が高額で取引されています。
日本では、2000年4月からトラを使った漢方薬や精力材の国内販売が規制されましたが、まだ隠れて販売されているところもあります

◆ トラは今絶滅の危機に ~地球上にたった5,000頭~ ◆

かつてはアジアに広く分布していた野生のトラも、この100年間で95%も減ってしまい、現在では約5,000頭が点々と分布しているに過ぎません。生息地の破壊やかつてのスポーツハンティングも一因ですが、1990年代に入ってからは虎骨を漢方薬に使うことを目的とした 密猟が主な原因となっています。インドでは1日1頭のペースでトラが殺されているといわれています。

トラは自然界の生態系のカギとなる動物で、トラを保護することは、野生生物や自然全体を保護することに他なりません。

日本は野生生物を大量に消費している国です。 野生生物を守るために、生息国の人々と協力して、今こそ国境を越えて行動を起こさなければ、永遠に彼らを失ってしまうでしょう。

トラ保護基金では、ロシアやインドなどトラの生息地で密猟パトロールなど、トラの保護活動をしている保護区のレンジャーやNGOに活動資金を助成しています。

◆ トラの数が減少した原因

(1)生息地の減少
インドなどでは農地開発が盛んに行われ、
スマトラ島では森がゴム・油ヤシのプランテーションへ転換されたり、ロシアでは大規模な森林伐採が行わたりしてトラの生息地が減少してます。

(2)エサになる動物の減少
人間活動が拡大するにつれ人間がトラの生息地へ進出してきたため、トラにとっては出会いたくない人と出会ってしまうことが多くなりました。
家畜を襲われた村人たちは憎しみからトラを殺してしまいます。
インド政府は補償金を出すなどして貴重なトラを殺さないよう解決策を考えていますが、村人にとっては満足出来る方法ではなく、現在でもトラの毒殺などが続いている状況です。

◆ 生息地で起こっていること

<インド>
村人が毎日トラの保護区に入って薪を取ってきたり、トラの棲む森に家畜を入れて草を食べさせたりするため、もともといた野生のシカなどの餌となる草がなくなり、トラのえさになる動物が減少しています。

<ロシア>
ロシアでは禁猟期でも、人間が食べるためのシカを密猟するのでトラの餌不足が発生し、トラは家畜を襲うようになり、人間との軋轢(あつれき)が生まれています。

(3)漢方薬としての虎骨の利用
トラの骨の入った漢方薬は、中国で1500年以上前に著された「本草概論」に登場しています。
1950~60年代の中国ではアモイトラは農業の害獣として駆除され、その骨は漢方薬として利用されていました。
そしてトラが壊滅的な状態になったため、法律によって保護されることになりました。しかし、大量にあったトラの骨の在庫が切れると、新たにトラの骨を確保しようと、ベンガルトラなど他の亜種への密猟が増加し、1990年代からは毛皮より骨目的の密猟が盛んになっています。
タイなどではトラ・ファーム(牧場)が経営されていますが、そこから流出する虎骨が虎骨市場を活性化させないかという懸念もあります。

◆ トラの保護に向けた動きと課題

現在では、どのトラの生息国でも、トラの捕獲は原則的には禁止されています。
(人身や家畜に対する害獣として駆除されることはあります)

<19世紀>
インドなどでは特に19世紀終わりからの帝国主義時代以降、スポーツハンティングや毛皮目的の狩猟が盛んでした。

<1970年代>
1970年代に保護策がとられ、ある程度 トラの個体数は回復しました。
また、トラは1975年以来(アムールトラは1985年より)ワシントン条約(CITES)の附属書Ⅰに掲載され、国際取引が禁止されています。

<1990年代>
密猟や密輸が絶えず、漢方薬として利用するための虎骨を目的とした密猟が激化しました。
インドでは19世紀に次ぐ「第2の危機」と言われるようになりました。
同じ頃、ロシアでも、ソビエト連邦の崩壊による監視体制の弱体化も重なって密猟が深刻になりました。
虎骨を使った漢方薬の主要な消費地には、中国、韓国、北朝鮮、各国の中国人や韓国人のコミュニティーに加えて、日本も含まれます。
そこで、1994年の第9回ワシントン条約締約国会議で「トラの保護と取引」という決議が採択され、トラ生息国とトラ製品消費国とで密猟防止と取引規制の法整備と取締に力を入れるようになりました。

<2000年代>
2000年の第11回締約国会議では、トラの生息国が国際的に協力し合う「トラ取締特別部隊」も設置されました。

2002年の第12回締約国会議ではトラだけでなく、アジアの大型ネコ科動物(ヒョウ、ユキヒョウ、ウンピョウ)についてもトラ同様の措置をとっていくことが決議されました。

◆ 日本とのかかわり

日本では、長くトラ製品の国内販売が規制されていませんでしたが、2000年4月に、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)で国内での取引が禁止になるまで、トラの骨や生殖器が入った漢方薬や精力剤、お酒などが合法的に販売されていました。
そして国内取引が禁止された今も、依然としてそれらが店頭に並んでいるところもあります。

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けっこう日本にも入って来てたんやねぇ。

なぜトラを守るのか

◆ 「キーストーン種」

トラは、その生息する地域の生物界(生態系)を支えるために重要な役割を果たす「キーストーン種」です。
大型肉食動物として、食う、食われるの関係(食物連鎖)の頂点に立つためです。このような生物を失うと生態系に大規模な変化が生じます。
トラを守ることは、地域の自然を守ることになるのです。
その場合、トラの行動圏は数十から1000平方キロメートル(オスのアムールトラのケース)に及ぶこともあるので、相当程度の地域の自然が守られることになるでしょう。

◆ 商品として取引されてきた野生生物の代表

また、トラは、拡大する人間活動が生息地まで及ぶ結果、その広い分布範囲が大規模に縮小し分断されてしまった野生生物です。
同時に、人身の安全や農耕、牧畜の振興と衝突せざるを得なくなった野生生物の窮状を象徴しています。
また、その体につけられた商業価値のために殺戮され商品として取引されてきた野生生物の代表です。
トラの保護に取り組むことは各国政府、国際機関そして一般の人々に対し、野生生物保全全体を推進するよう促す効果があると考えられます。
特に日本については、トラの生息地であるロシアの森林を伐採して得られた木材を大量に輸入していたり、虎骨入りの漢方薬が未だに国内で販売されていたりと、日本がトラの保護に無関係ではないことを考えるべきではないでしょうか。

◆ トラを守るために

JWCSは、サポーターのみなさまと共にトラの保護活動を展開しています 
トラ保護基金を設けてトラの生息地で保護活動を展開しているレンジャー(監視・取締官)を支援しています。(→トラ保護基金)
トラの製品が日本国内で違法に売られていないかを監視しています。
ワシントン条約や日本政府がトラの保護のためにもっと積極的に行動するよう働きかけもおこなっています。
日本の人たちにトラの保護について考えてもらうために、様々なイベントを行っています。(→イベント)

◆ みなさんも、野生のトラを守るためにできることから始めてみませんか?

虎骨の入った漢方薬やトラの毛皮などのトラ製品を買わない
まわりの人にトラが絶滅の危機にあることを知らせ、トラ製品を買わないように呼びかける
トラ保護基金のサポーターになり、トラを密猟者から守っている現地のNGOへ支援する(→トラ保護基金支援活動)

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ふ~ん、そういうことかぁ。タイガーバームは買わんとこ。タイガー魔法瓶は大丈夫やろね。

トラうんちく

◆ トラ - Tiger -

トラは、ライオンとともにネコ科動物(Family Felidae)最大の種です。
20世紀初頭には10万頭生息していたといわれますが、今世紀になって8亜種のうち3亜種が絶滅し、現在は残る5亜種の合計も5000~7200頭に過ぎないと推定されています。
国際自然保護連合(IUCN)のレッド・リストに絶滅危惧種(EN=Endangered)として掲載され、ワシントン条約(CITES)では附属書Ⅰに掲載されています。

★ 体の特徴
ライオンと比べて長めの体に短い頸(くび)と、吻(ふん=口先)がやや短いがっちりした頭と、やや長い尾を持っています。また体に縞模様を持つのが特徴です。

★ どんなところに住んでいるの?
トラは、北はマイナス30度にもなるロシア極東から南はスマトラ島の熱帯林まで、アジア14カ国に生息しています。地域的な個体の集まり(地域個体群)どうしの間に体の大きさや体の縞の色合い・間隔などに違いがあります。トラの場合、これらの多様さの程度が大きいので、8つの地域個体群に「亜種」(地理的品種)という分類学上のランクが与えられています(ただし3亜種は既に絶滅してしまっています)。

★ どんな生活をしているの?
トラは一般に単独で生活し、夜行性で、朝夕にもっとも活動的になりますが日中も出歩くことがあります。行動圏は獲物となる動物の量によって異なります。地上性ですが、しばしば木に登り、ネコ科動物には珍しく、水に入るのを好みます。泳ぎも巧みで長距離を泳いで獲物を追うこともあります。しかし、長距離を走ることは得意ではありません。

★ 食べ物
トラは多様な動物を捕食し、シカ類、イノシシ類などを中心に野生のウシ類やクマ類も獲物にし ています。最近は人間がトラの生息地にまで進出してきたため、家畜を捕食することも多くなりました。トラが獲物を捕らえるときは、茂みなどに隠れて忍び寄り、ラッシュして背後から襲いかかります。獲物が小型や中型の動物(ハヌマンラングール(サル類)やイノシシ類など)の場合、多くは首筋を噛み、脊椎を噛み切ります。大型の動物(ガウル(野生のウシ類)など)の場合は下側から喉を噛み、気管をくわえて締めつけ、窒息させることがあります。インドのカーナトラ保護区で、12回狩りを試みたが1回しか成功しなかったという報告があります。

★ 何歳くらいまで生きるの?
インドでは雨季明けが交尾期で、多くは2月から5月に繁殖します。妊娠期間は100~108日で、1回に2~3頭の子を産みます。授乳期間は生後3~6ヶ月くらいまでで、子は1年半から2年間母親と同居し、その後次第に独立します。
飼育下では26年まで生きた記録がありますが、野生では20年以上生きるものは少なく、子の半数は生後2年までに死亡し、オスによる子殺しも多くあります。メストラが15才まで生きて5回出産し、成獣まで生き残る子は10頭くらいであると言われています。

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昔昔、ライオンとトラを戦わせていたらしい。結果はトラの方がやっぱり強かったんだって。

トラ保護基金の主な助成先

◆ロシアタイガーボランティア◆

アムールトラ・ヒョウの生息する保護区でパトロール活動を行うNGOで、1997年の設立当初から支援しています。ロシアでトラやヒョウの保護活動を行うNGOの中でも実績・熱意があり、トラ保護基金と深い信頼関係があります。
政治腐敗の著しいロシアで、タイガーボランティアのような権力に屈しない姿勢を貫くレンジャーは希少です。密猟防止を通してトラを頂点とする地域の動植物のバランスを守るとともに、他のレンジャーチームと一緒にパトロールを行いながら技術や知識を普及するなど、少しでも意識の高いレンジャーの育成にも力を注いでいます。

◆インド野生生物トラスト(WTI)◆
インド各地の保護区へ必要物資の支援やレンジャートレーニング、災害時の動物の救援、生息地を結ぶ回廊の設置、野生生物の取引調査や利用産業に対する普及啓発などを行っているNGO。WTIを通して各保護区へ助成をすることで、状況にお合わせて重要度の高い地域への支援が可能となります。

◆マレートラ保護プログラム◆
2004年6月からマレーシア政府野生生物国立公園局主導で開始したプログラム。マレートラ保護プログラムは以下の3つからなっています。
(1) 政府野生生物国立公園局を始め、マレーシアのトラ保護に関わる組織の間の協力によってトラ保護行動計画の作成。
(2) トラの密猟防止のためのパトロール。法律による取締り。人間とトラとの軋轢の解決。
(3) 半島マレーシアにおける最重要トラ生息地での地域住民との保全プロジェクト。
外国人として初めてマレーシア政府野生生物国立公園局調査保護コンサルタントとなりマレーシア政府トラ保護室のアドバイザー役を務める川西氏を通じて助成を行います。

◆国内での普及活動
動物園や、デパート、コンサート会場などでイベントや講演会、パネル展などを行い、トラの危機的な現状を多くの方々に知っていただき、トラを絶滅から守るために、私たちにできることを呼びかけています。
また、動物写真家の田中光常氏や吉野信氏撮影の野生トラの写真パネルや、トラやゾウの減少の様子が一目で分かる分布図のパネル、密猟現場のパネルなど、説明文付きで貸出しを行っています。

◆アムールヒョウ保護基金
アムールヒョウは、世界中で南沿海州のほんの一部にしか生息していない北限のヒョウです。1930年代には400頭近くがロシア、中国、北朝鮮に幅広く生息していたと言われています。しかし、毛皮と骨を漢方薬に使うための密猟から、残りわずか30~50頭にまで数を減らしてしまい、今、絶滅寸前です。
アムールヒョウ保護基金では、アムールヒョウの絶滅をふせぐために、生息地で保護活動を行っている自然保護区のレンジャーや、ロシアのNGO「タイガーボランティア」を支援しています。

・・・・・・・・NPO法人 野生生物保全論研究会(JWCS)

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みなさんもご協力よろしく~。

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2006年4月16日 (日)

安田美沙子ちゃん

Misakoseats_1 

うん、いいよなぁ・・・・。

もうあのCMは見れないのかぁ・・・・・。

  Misadakiomote_2 Misadakiura

前から見ても、後ろから見ても・・・・。

やっぱりいいよな・・・・。

Misatop

わしドラマとか見ないからなぁ・・・・。

☆今の阪神☆

江草がよくカープ打線を抑えてる、現在7回ウラ

カープ 0 対 1 タイガース

得点は濱ちゃんのスライダーを見透かした見事な

ホ~ムラ~ン!

スゴイ、これで7本目だよ。

何本打つねん今年。

今期の阪神は、モノスゴイ助っ人を補強したもんだ。

あとちょっと、ピッチャー頑張れ。

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2006年4月15日 (土)

和ダイニング だん 17日OPEN

ふぅ~、疲れたぁ。

ここでお知らせ。

え~っと、この17日に「和ダイニング だん」っていうお店

(洋風居酒屋)がOPENします。

今日はそのお店を完成させたので、お披露目。

W01

ファサードだよ

W02

カウンターだよ

W05

客席だよ

デザイン時のCGパースと比べてみよう

W02p

カウンターだよ

W05p

客席だよ

今日は引渡しで追い込みの工事、昨日からもう

バタバタ、バタバタ。

なんとか間に合ったぁ~。

しかぁし!

阪神vs広島

ぜんっぜん見られへんがなぁぁぁ!!

ふう、疲れたぁ~。

尚、行きたい人。

三宮中山手通1丁目 モザンビル1F だ~よ。

PS

今日バタバタしてたらすごいサイレンの音。

なんやなんやと表に出たら、目の前のビルから

黒い煙がもうもうと出てる~。

か、火事や~。

みるみる消防車の山(合計10台)ができた。

あたりはもう騒然!

けが人が無かった事を祈ります。

写真撮ったけど、自粛。

はぁ~、試合観たかった・・・勝ったのに。

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2006年4月14日 (金)

コワいか?

Uwatyaa

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・SPさん風

Wtiger

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わしゃしらん

えらいリラックスしてはるねぇ。

しかしカッコエエなぁ、ホワイトタイガー。

いやいや、そうやのうて、

ああもう・・・・。  負けたぁぁ。

あ~あ、・・・(ほな、びっくりさしたろ)。

こわイカ

Ikadayona_2

うぇぇぇ、目、目がぁぁぁ。

しかし、

上に写ってる傘さして懐中電灯持ったたおばちゃん、

やけに小さくない?  それとも、このイカ、

大きい のか・・・・・。 怖いよぉぉ。

おばちゃん勇気あるなぁ、捕ったんかぁ?

わしゃもう海で泳ぐ気ぃ、せぇへん。

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2006年4月12日 (水)

無さそうで有るもの、その1(もの編)

むかしむかし20代前半の頃、一時オーディオに凝ってました。

よく日本橋(秋葉原みたいなトコ)に通ったりしてましたねぇ、金も無いのに。

最初に手に入れたのがオンキョーのプリメインアンプ、ダイアトーンのSP、パナソニックのターンテーブル(もちろんレコードの時代)

いわゆる普及品という代物でしたが、一応自分なりに音を追求してるつもりで(笑)、しかしだんだん欲が出てくる。

日本橋でパーツを購入、合板を大きな糸鋸の機械のある工場で加工し、自作のスピーカーなどを作ったりしましたねぇ。 バックロードホーンという構造のSPで、自分で設計し、自分で製作、仕上げ塗装までして悦に入ったりしたもんです。

そうするとカセットテープデッキという物が登場し、オープンリールデッキより便利であるため、たちまち市場に上級品が並んできます。

わしはパイオニアの上級品、前面操作のタイプをバイトの金全部つぎ込んで購入したのですが、本当はもっと欲しいものがあった。

それがナカミチというカセットデッキ専門の会社製品でしたねぇ。
ただ、専門メーカーだけあって、超超高級品で、何十万という値段、とても高嶺の花で手が出なかった。

それから幾年月、とっくにオーディオ熱など無くなったわしは、すっかりナカミチなどというメーカー名を忘れていました。

で今回、ふと思い出したので検索(便利な世の中や)、というのは今やカセットテープなるものも、とっくに古~いメディアとなってしまった世の中で、いったいナカミチさんはどうしてはるんや?と気になってしまったんですね・・(笑)。

見つけました、生きてはりました(笑)、ところがなんとこのメーカー、テ、テレビ(正確にはモニター)まで作ってはる総合オーディオメーカーに変身してはった。
カーオーディオまで作ってるなんて・・・すっかり浦島太郎。

Ss_top_image_1 ナカミチの現在の製品、いろいろ

ナカミチ ウェブサイト
http://www.nakamichi.co.jp/

今流行のホームシアター。

 

Vu29  Vu29_pg2_1_1

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Ss9300pix 

なんかデザインが

ドイツ的でかっこいい

んですけど・・(笑)

Sysこれは

カーオーディオやね。

そういやポルシェの

カーオーディオが

ナカミチやったっけ?

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2006年4月11日 (火)

有りそうで無いもの、その1(もの編)

この世に有りそうで無いもの、たくさんありそうやね(笑)

ちょっと探してみよ。

例えばソニーの冷蔵庫・・・あら、こりゃ無さそうで無いやなぁ。

ソニーの乾電池・・・・うわ、あるがな。

え~っとソニーの・・・ってなんでソニーばっかりやねん。

うむ、意外と難しいゾ。

ソニーの・・・・もうエエか。

じゃぁ、シャープ(笑)の照明器具・・・どう?

家電メーカーの各製品の棲み分け、なんかややこしいぞ。

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